コミックビーム2018年4月号

※先月号です。


  • 表紙デザインは3ヶ月周期か何かなのか。



森泉岳土『セリー』/新連載。閉鎖空間にて男と女性型アンドロイド。物語を読む人型機械といえば、古橋秀之ひさびさの新刊『百万光年のちょっと先』が実に良くてですね、はい。
百万光年のちょっと先 (ジャンプジェイブックスDIGITAL)百万光年のちょっと先 (JUMP j BOOKS)


●原百合子『繭、纏う』/これ、下着も規定品で統一されてるってことよね。髪の手入れにも規則とかあるのかしらん。

おおひなたごう目玉焼きの黄身 いつつぶす?』/味ではなくマナーという観点、と重視すべきはコミュニケーションであるのが、食マンガとしてのこの作品の特殊性。丼ではなく定食である意義という表現はなるほど。

●伊図透『銃座のウルナ』/チュリッカは自立できてるようでよかった。死者を歴史と国家の中に位置づける物言いも、ここでは戦争状態、異文化への敵視を前提としたそれだからなあ。その言葉を向けられる主人公を、ここまで物語ってきたという構造の巧さ。そして、この手の格子柄のスーツの絵を見ると、BSマンガ夜話ナニワ金融道』回で触れられていた、青木雄二の背広の描き分けについての話を思い出すのです。

羽生生純『ルームロンダリング』(原案・片桐健滋、梅本竜矢)/苦い衝突と別れ、新たな地(事故物件)へ。重い展開になりそう。3ページ目、上段に並ぶコマ内での、影(黒ベタ)を描く構図の連続による闇の広がりからの、下段横長一コマでの、落差による静寂の表現がさすが。ハンバーガー屋の名前がnackodamaldという点も、また異なる意味で羽生生作品らしさ。

衿沢世衣子『リトロリフレクター』/読み切り。宇宙をまたぐ、というロマンをはさんでの出会いと通信の情景。さわやか。天文台が舞台のマンガというと、まず浮かぶのが『Q.E.D. 証明終了』の「褪せた星図」だったりするもので(悲しい回なんだー)。

桜玉吉『指令』/読み切り。生活のローテーション描写がもう老成の風情ね。虫の死骸が変な動き見せるというのは田舎あるあるだと思うがどうか(実家が山の中)。

●conix『青高チア部はかわいくない!』/そうか、立つ舞台の規模も勝ち進むほどでかくなるんだよなあ。オチがベタなだけにひどい&突き刺さる。

中野シズカ『In the Garden』/水中、それは苦しみを消す。絵面だけならドリフのコント感もしないではない。

三家本礼『アイアン・ゴーストの少女』/ナイフ使い、てこいつは生身で直接攻撃なの?

●オカヤイヅミ『ものするひと』/こういう、日常描写を構図と構成の巧さで作品として仕立ててしまう技巧には弱いんだよなあ。正味この作品内のオノマトペには味気なさを感じないでもないのだが、内語・(聞こえる音としての)声の吹き出しによるコマ・場面の接続、声・内語・ナレーションのフォントの使い分けとその並びで効果的に読ませる回想(ついでにバスのアナウンスもまた異なるフォント)、という点での上手さを見ると、注視すべきはその落差なのだなと。

●植田りょうたろう『あらしのかたち』/読み切り。台風は子供のロマン。なんかハルタっぽい作風。

上野顕太郎『夜は千の眼を持つ』/劇画絵と漫符、もとい、劇画調であっても絵に入ると記号が漫符に見えるよ!と。

山川直人『小さな喫茶店』/あるヒロインと珈琲と。同好の士であることの希求する物語。ある意味、オタク的心性か。

イシデ電『猫恋人』/性生活と猫、わかる人にはあるあるネタなのかしらん。移動範囲の特徴というのはまああるか。

●おくやまゆか『むかしこっぷり』/未確認飛行物体と、“飛行機”の記憶。民話的ガジェットの異層というかね。


  • 市橋俊介コラムにも、真面目にならざるを得ない時がある。