ハルタ 2018-FEBRUARY volume 51

※先々月号です。


  • カバーイラストは宇島葉。擬人化ネコが氷上にてマス(?)釣り、そして本の帯を外すともう一段仕掛けが。こういう所がちゃんと“漫画”、カートゥーンなんだよなあ。
  • 帯裏マンガ、丸山薫『図書室のキハラさん』は節分ネタ。こちらもさすがのレイアウト活用。



●設楽清人『忍ぶな!チヨちゃん』/忍びのお仕事編。とはいえ、いつものコメディ路線なわけだが、まあ真面目に展開されても困るか。

福島聡『バララッシュ』/『ローカルワンダーランド』中の二人とは設定異なるのか。最終回も1話の「大団円」と全然違ってたりして。/主人公二人の出会い、というか物語的には始まってもいねえよ感。コマ割り自体は端正なのに、絵面の構成として見ると色々仕込まれている芸達者ぶり。フォーマットとしては普通だが、という部分で、“映像”として読ませる意図にも見受けられる。いちいち凝っているオノマトペの面白さも、マンガ表現における“消えもの”として、あくまで目立ちすぎないように描かれている印象。時代設定や風俗考証の面でも作者としては挑戦作になるかな。

樫木祐人ハクメイとミコチ』/動物が作物生産者で小人の八百屋にのせられる、という図もメルヘンらしさではあるかね。これ多分、アニメの方のチェックしてて出来たエピソードだよなあ。あっち(つまり過去回)ではキノコ投げまくってたし。

森薫乙嫁語り』/絵物語で冬の光景。堀ごたつは作れない。

●川田大智『彼女はお義父さん』/付着した細胞の状態如何ってことかしらん。つまり精子だと略。

佐野菜見『ミギとダリ』/目的に対するコストパフォーマンス悪すぎ、という点はギャグでもあるんだろうけど。この展開で引っ張るのかねえ。

●大槻一翔『欅姉妹の四季』/無感情と閉鎖性と記号でしかないエロ、という虚無ぶりに、安部真弘は8ページで相手がチャンピオン読者だからシャレで済んでるんだぞ(真顔)、と思ったが。これあれだわ、顔並べる構成とか芸風とか森や入江を真似ようとしてこんなんなってんだわ。あのなあ、あれは空間把握も構図も人体も描ける作家だからこそ許された演出であり手間であり表現なのよ。見映えごまかす手段じゃねえのよ。

●仁科彰太朗『君の前ではいつも赤鬼』/読み切り。ラブコメ。とりあえず、ものすごく読みにくい。


→作者も異なる全然別の作品に対して以前こんなツイートしたことあるが、同様に脳内映像ピックアップ並べられてる感。読者にどのように読ませるかという意識に乏しく、構成が見にくい。/一方で、キャラの身体描写の表現はデフォルメ含めこなれてるし、ロングとアップの切り替えによるテンポの転がし方もいい。つまり、話の筋は追えるしコマ単位での見映えはあるのでそれなりに読めるが、構成の技術がないので無駄とムラが目立ってマンガとして見にくい。色々ともったいない作品である。
/で、ハルタ編集部の作家育てる能力のなさ、絵柄と雰囲気しか目に入らない読者への迎合ぶりについてはこちとらいい加減察してるんで、この作家もしばらくしょうもない使い潰され方しそうだな、としか思えず。しばらく、と書いたのは、その内作家が自分で省略も視線誘導も会得して勝手に成長してほしい、という期待。

九井諒子ダンジョン飯』/マナーの悪いケモ娘が新たな仲間に!ファンタジーの定番!(そうか?)連載もだいぶ続いた上での新メンバー加入の際に、物語の流れとして、モンスター要素、魔術要素、食事要素、と従来のキャラとの接点属性しっかり仕込まれる点がよい。耳がいいのでは、という点も残るチルチャックと探索要素でつながりそうだし。
/緊張状態における設定解明、本作の異色さたる料理場面、食事のマナーの悪さでコマ構成の破調、バトル、新展開、と今回もよい緩急。紙製の魔物による自動攻撃というのは、絵による魔術と通じる要素だろうか。空中からの斬撃を描写する構図と構成も凝っている。ジョジョのシアーハートアタック戦における電気コンロを連想するなど、こっちは活用されているが。鍋は包丁より強し(意味不明)。

入江亜季『北北西に曇と往け』/会話の見せ方としての構成はすごく巧い。話は全然進まない。

●山本和音『星明かりグラフィクス』/表現主義VSマーケティング、という構造ではあるのよな。消費者としては選択肢が両方あるにこしたことないわけだが、発信する側は偏屈なまでに懸命で。

●冨明仁『ストラヴァガンツァ~異彩の姫~外伝』/こうして見ると、やはりアクションシーンの読ませ方はすごく上手い。読者の視線をどう誘導してその視界上にどう絵を入れていくか、ちゃんと考えられている。キャラとしてのマオはツマヌダ格闘街に出てきたアニメーター格闘家にも近そうだが。

八十八良『不死の猟犬』/うーん、この回のラストで逆転やショックを感じる読者というのは、つまり白雪姫まわりの展開すっかり忘れてるわけだよなあ。想定してる読者のレベルがそこだというなら仕方ないけど。

近藤聡乃『A子さんの恋人』/A君編。思えば交わされる言葉が主眼となる本作にあって、“翻訳”という行為がいかに描写されていくか、は重要なのか。今回の最後にA君が興味持った(やけくそ?)漢字という要素もまた。「第一稿」という章題すら、ものものしさを感じる。
/コマをまたぐ、もとい枠線により分割されたオノマトペ=笑い声というもののたどたどしさ(「わはは/は」「ふ/ふふ」)。左右のページで同位置・同形・同構図内を、「ウロ ウロ」する人物=現在と過去の対比。A君がエンパイア=高いところに誘った際のA子の反応は、A太郎と東京タワーへ行った過去との対比でもある。結果的に過去に励まされて行動へ、とA君の中では好ましい流れだが。
/ニューヨークの背景の中、回想との対比で孤独をかみしめるA君、とストレートに切ない描写もある今回。ちなみに作者の別連載では、この回(と作品作りについて)の裏話がなされている。


→本作中での回想と、『ニューヨークで考え中』における作者の想像との、アングル=視点の差もまたおもしろい所。
      
/ラストでA君の妄想?として登場したネコは、A子のクマ人形と同じ目をしているが、さて。

●高江洲弥『ひつじがいっぴき』/服装のラフさと接近してるイメージが故なんだけれども、なんかアラコータの体でかくなってない?設定あわせて星新一の「お地蔵さまがくれたクマ」連想しちゃう読者ですまん。

●緒方波子『ラブ考』/あんなに一緒だったのに。

中村哲也『キツネと熊の王冠』/作者の自転車好きの方が出てるぞ。14ページ目、自転車のタイヤが溝にはまる描写を、ページ右下に位置する縦に並べた二コマ内でやるのが巧い。

→ページ上部では、自転車で並走する二人の上半身&上からの構図を描き、それを追った読者の視線がページ下部へ、左上から右下方向へ移動するのとリンクして、構図も自転車の下部のアップへと切り替わる。「ザリッ」を読み、タイヤが右下方向にずれるのと「ドスッ」を読む。その描写を下方向に断ち切られたコマ内で見て、次のコマはまた人物上部。こういう効果的な構成が好みだ。
/この見開きからページめくっての1コマ目、上と右に断ち切りのコマ内で右上・右下・左上に物描いて視線泳がせる構図とか、ラスト1ページでの、外から聞こえるオノマトペ→近づいてくる吹き出し入りのオノマトペ&記号→セリフ吹き出し、で表される人物の接近も好きですね。

●サワミソノ『丁寧に恋して』/隔号連載化かあ。まあ好きな作品なのでじっくりやってほしいもんです。新キャラの方はなんか展開ぶれそうな感もあるけど。

●志岐佳衣子『すずちゃんとしろくん』/読み切り。足フェチ?

●菊池まりこ『公安部特異人種課56』/最終回。うーん。やっぱり今回読んでても、愚直な吐露の描写でこう、感じ入らせる部分があると思うんだよな。前作もそうだったけど。

だいらくまさひこ『グルタ島日記 大麦畑のジョディ』/読み切り146ページ、ひさびさの登場。前半の冒険展開で作風変わったなー、と思ってたら、後半のロストテクノロジー&記憶の再生というモチーフでしっかり繋げてくるという。映像から作画に。主人公もその際は、以前の主人公と顔つき近づいてる気がする。むしろ前半はハルタ作家にありがちな絵柄に溺れてる感で、物語としても後半メインでしょう。