『プリパラ』111話感想

●やっぱり土屋理敬脚本はすごい。
●とにかく冒頭から“みんな”を絡ませよう、その会話劇とコメディやる空間と関係性を見せよう、という意思がのぞく。特に今回は、かつて敵対していたひびきがその象徴たる怪盗姿で、今は共に遊べる、BAKAをやれることを示した。それはつまり、この「みんな友達」たる馬鹿話寓話空間においての“友情”の存在、萌芽の描写でもある。
●そこからさらに、で、予告で鼻の穴に指突っ込まれたくらいでギャーギャーわめいてたクソうざいキャラ信者共も黙らせる挿入という、ね。ま、あの辺の界隈はシーンに脊髄反射で脳味噌粘膜発情させてるだけのおはなしリテラシー皆無な連中、と外野にはっきりカミングアウトな集団手の平返しではあった。
●(↑意訳:お帰りください。)





●冒頭、ひびきの慨嘆とジュルルとのコミュニケーション(笑)。ここでひびきをとっさに制止するメンバーが、らぁら・みれぃはわかるとして、ふわり・ドロシー入ってるのが脚本家のカラーだよなと。そふぃ・シオン・レオナ・ファルルは笑顔で見守る。9人が画面に、意図もっておさめられたカットですよ。
●サブタイトル「子連れ怪盗まほちゃん」はファルルの読み上げ。もうこのタイトルセンスのアホっぽさがたまらん、脚本家的にはさすがあの家庭環境複雑アニメ『MAJOR』のシリーズ構成だなって、いやそこまでは。まあ先行して『アイドルマスター』やよい回にてミルク飲ませた赤ん坊に(あくまでさりげなく)ゲップさせ、『機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ』で三日月の両脇に赤ん坊抱えたアトラとクーデリア立たせた脚本家ですよ、後者は妄想ネタ。タイトルコールしたファルルもプリパリでは“子連れ”ですな。
●スーパーサイリウムコーデが入手できずおかんむりのひびき様は、「本当のアイドルのライブを見せてやる」と宣言、ジュルルを「ポンコツ女神」呼ばわり。ジュルルは「?」。劣勢もとい逆境もとい、新たな境遇下にあっての高慢ちきねえちゃんひびきの意地。面と向かってくだけた悪口という、地であり素であり感情の部分な。ある意味そこに対比させての、“本当の”という物言いよ、後で触れるが。
●ひびきライブ。純・アモーレ・愛(約2分半)はカッコいいなー、やっぱり。まだゴールドエアリー出るんだ。今はこれを、敵対していた過去とは違ってわだかまりなく笑顔で見られる一同、という光景もよい。あ、ひびき的には目的失敗だけど。
●続く会話劇の場面も、後半あわせてセリフの分担が上手い。そふぃの「カップがかわいそう」とかよく出てきたなと。デレマスでもこの点上手かった。
●ひびき育児パート。まったりスルー気味→ギャン泣きによるキラキラ無効化→吹っ切れるひびき様(あらすじ・破天荒な行動)。彼女の泰然自若モード壊そうという今回の内容。キャラ信者の反発とか知るかっていうね、お帰りください。
●「ひさびさにあれをやるか」と怪盗ジーニアスに扮するひびき、扮装にはしゃぐジュルル、ひさびさのパトランプめが兄ぃ、同じくひさびさのプリパラポリス三人組、てか律儀に予告状出してるのかよ!さらにプリパラポリスライブ(約1分50秒)。この急転ぶり&アホかわ空間。
●さらに重ねるアイキャッチ芸、シリアスとしての道具立てだった名乗りとBGMにプラス赤ん坊の笑い声、もう間違ったシリアスのつるべ打ちである。徹底した解体であり異化、おもしろい。
●で、全員集合してすごくくだらないオチ。ファルルのひどい翻訳セリフ、そふぃ&レオナのしょうもない解説、とかわいい声の役どころよ。しかしジュルルは喜ぶ。楽しかったよねぇ、みんなで。
●ひびき様ぐったり。「支配者でなくなると色々面倒だな」だそうで、いつか楽しめるのであろうか、この地平を。ここにきて、ファルルとライブしたくなったひびき。
●ひびきとファルルのライブ(約2分40秒)。まず、放送後にプロデューサーが解説したツイートがこれ。↓

●それに対する、俺の反応ツイートがこれ。↓●はい、そういうわけで。目の光を失ったファルルとひびきの踊るセピア調の光景から始まり、それぞれ第1シーズンと第2シーズンで敵対した身でもあるそれらが、最後は目に光を宿し生き生きした姿になる、というライブである。
●その構成自体も刺激的だが、その転換点としてあるメイキングドラマ、キャラクターの内面の象徴でもある幕間劇が、また衝撃だった。人間の身を捨てて、ファルルと同じボーカルドールになることをかつては願っていたひびきが氷の像となり、それをかつて孤高の存在としてあったファルルが抱えて見つめている、という図。続く終盤での、表情も声音も明朗な二人のダンスと比べると、生気と相反する耽美としてある、人ならぬ偶像としての光景だ。
●この“美”としてある場面でひびきが「夢を、信じて」と言うわけですよ。このセリフで、土屋脚本好きの私はうっわあ、てなって。アニメ『アイドルマスター』で脚本家・土屋理敬を知って、アニマス2周目で土屋脚本24話「夢」に胸打たれて、その“夢”の先を描いた劇場版アイマスを大肯定している身として、ここで「夢」なんだ、それを「信じ」るんだ、と。
●いやね、これアーケードゲームの筐体と連動したライブ中のムービーまでアニメサイドと連携とれるか、というのはちょっとわからんのだけど。土屋脚本好き、だからプリパラ見始めた身として言えばね、アイドルアニメ・アイドルマスターにおいての「夢」とは仲間を“信じる”こととこそイコールだった。つまりプリパラで換言できるところの「み〜んな友達!み〜んなアイドル!」。そのイデオロギーと対立するひびき、という構図は第2シーズンで何度もやってきた。で、そのひびきは「夢」をこそ「信じて」いた、という構造なわけですよ。(もちろん、今はちょっと違う立ち位置、という所まで見せるライブだったわけだが。)
●それに対して、これまでの土屋脚本回において、違う物を信じる、と発言した人物が二人いる。一人は79話「アイドル終了ぷり」にて、「間違ってるのはひびきさん、あなたの方です!(※理由を問われて)私が信じてるからです!私の知ってるプリパラは、みんな友達、みんなアイドルなんです!」と叫んだ主人公・らぁら。もう一人は25話「クリスマスプレゼントフォーユー!」にて、「私は信じてたの。いつか必ずシュガーに会えるって。(※中略)私達がプリパラで過ごした、あのキラキラした日々は嘘じゃないって。」と語ったらぁらママ。友達を、それが“嘘じゃない”ことを信じる。この辺は他の土屋脚本回、55話「プリンスとヤギとデートと私」におけるふわり(の後の回想)、74話「紫京院ひびきの華麗なる日常」におけるレオナの宣言、とひびきの演じる“虚偽”への対峙とも通ずるのだが。俺的には以前このブログで触れた、なぜ土屋脚本はデレマス23話の本田未央とプリパラ25話のらぁらママに同じセリフを言わせたか
案件に入るテーマです。
●あ、本編ね。で、このすごいライブくぐり抜けたらまたオチがついてね、笑うよそりゃ。ひびきの態度も完全にコント化してて、こりゃ仲良くケンカしな、で上手くやっていけそうだなあと思いました。
●作中のライブ3本の合計時間が約7分。そのムードも含めて、残り時間でテーマに肉薄する楽しさを見せてくれる。やっぱり土屋理敬脚本はすごいし、好きだなあと思ったわけです。以上。