越智善彦『ドロイどん』4(※言い訳つき)

越智善彦『ドロイどん』4話


●一段目3コマ目から5コマ目です。これはあまねちゃんに走り去られたドロイどんの本気です。3コマ目、まずコマの枠線をなくして、これで空間の開きが出ます。そこにこのドロイどんがですね、動線1本で頭回して振り向きます。この動作表現の明快さ。/これでまずドロイどんのみがいる、ていうその空間表現がありますね。足元に影。孤独ですし、時間的にも一瞬のたゆたいとなるわけです。
●で4コマ目。これ、それまでの一段としてのコマの高さを上下で半分に分けてあります。それまでの左へ左へという視線の動きがちょっと上向いたところで、「ジャキンッ」と足からタイヤが出てきます。これわかりますね、足からタイヤ出てドロイどんの身長が伸びたわけです、上に。それと視線の移動方向が「ジャキンッ」と一体化させてあります。微妙に地面にディティール加えてありますね、拡大してますから。/そこから真下に視線移動しての5コマ目、これは完全にデフォルメ、真横からの絵ですから。「キュイイイイイン」と左に一直線に走っていくわけです。




●そして二段目、最初の2コマです。これね、この回の一段目は徹底して真横からのアングルで話が進みます。背景も白です。それが二段目に入るといきなり俯瞰になります。/その二段目1コマ目。これ、さっき一段目を左端のコマまで読んで、そこから折り返してのコマです。一段目最後で「キュイイイイイン」と左に向かったドロイどん追った読者の視線は、このコマの左上から入ってくるわけ。で、そっからまた、この追うドロイどんが立てる砂煙と逃げるあまねちゃんが立てる砂煙を、視線が追うわけです。コマの左上から右側に寄りまた左下に抜けていくこのカーブ描く曲線、これを視線が老います。またこのコマで一段とキャラが小さくなりまして、つまり長距離を追うんですよ、読者の視線が。このコマ内で最大限に効果的に。この演出、僕はすごく好きです。かわいさに寄与してますしね。いいです。
●で二段目2コマ目、自販機の後ろに隠れるひなたちゃんです。この自販機も、このあとでアップになってアングルも2回変わって結構細かいんですがね。/このコマはまず、コマの右側枠線で断ち切られている自販機から目に入ってきます。そこにあるものとして、最初から。で、ひなたちゃんがコマに入ってくるわけですが、これ時系列的に言うと、映像にたとえるとね。まず自販機が立ってそこにあります、そこにひなたちゃんが入ってくる。入ってくるんだけど、これはどこからともなく入ってくるわけ、だってもう絵として隠れにいっちゃってますから。「すたこら・・・」って。
●つまりね、これ定点映像では再現できない。カメラをパンして動作を途中から、とかやらないと。だからこれ、マンガ表現的な絵なんです、すごく。この逃げるひなたちゃんが立てる砂煙が前のコマのそれと同じ曲線のライン上にあるんだけど、つまりひなたちゃんはここまでずっと走ってきたわけだけど、それ表現する砂煙がコマの途中から入ってくる。コマの下枠線の中ほどから続いてるんです。つまりひなたちゃん、このカーブのラインでコマの外側を走ってきたわけです。
●今のはちょっと飛躍した物言いですが、読者はそう読み取りますよね。ひなたちゃん同様、視界に自販機が入って、この「すたこら・・・」もコマの左半分上部に描いてありますから。あとそうだ、このひなたちゃん左から右に向かってて、それは読者の視線と反対方向に動いてるってことなんだけど、それを「隠れる」という行動で、絵としてそれ以前に出たものの裏に行く、という動作においてやってるわけですね。これはおもしろい効果です。あきらかに視線誘導とか意識して描かれたものだな、と思えます。





というわけで、本ブログの定期記事のような顔でしばらく続けてきたと思ったら、また1ヵ月ほど休んでいる「週刊アスキー」連載マンガ、越智善彦『ドロイどん』の感想記事。1ページ連載マンガの感想書くのに1週間以上かかってしまってズブズブと、のパターンです。これがかつては、1/3ページ連載の感想書くのに1週間以上かかってしまってがっくり、だったわけです。
私は越智善彦のマンガ本当に好きなんで、当初は“丸ごと”書いていく算段でした。私が見た読んだすべての魅力をすべて伝える、その心づもりでした。愚かでした、浅はかでした。すぐにどん詰まりました。それを読者が文字でおこなうのは無理なんです、だったらまんま原作をわたすべきなんです。絵を見て読み取って作品を愛するのは私で、そのコピペの喚起などおこがましいのです。なのにやろうとしちまって、それは書けないよ、と4話目で挫折したわけです。
で、件の感想記事は「需要ないだろうな」という開き直りとともに復活し、「このコマだけ語る」という引用部掲載と一点集中を行なうことで持続してきたわけです。俺個人という読者のリアルを担保することで掲載できてきたわけです。しかし、「週刊アスキー」No.924掲載・越智善彦『ドロイどん』71話はすごすぎた、俺には。その越智ファンにはたまらない量と質の詰めっぷりに大喜びした私は、うかれついでにまたもやこれを普遍として丸ごと伝えたい、という妄執を抱いてしまった。結果は、1ページマンガの感想を5週間書けなかったわけです、またもや。
かようにすり潰すようにして消えた心の中の熱に再点火、という今回の記事なんですけれども。自称ファンは勝手に落ち込むんですね馬鹿だから。そのリハビリ、というわけでもありませんが、かつて感想書けなかった4話から現在の心持ちと記事形式で向き合おう、というときれいにまとまるんですが、古雑誌整理でたまたま出てきたからって理由も半分くらいあるよと正直に。(ひでえ)
ま、ぼちぼちやっていきます。たとえ定期感想記事としてあげられそうになくとも、この作者と作品のファンはやめられそうにないので。

*1:週刊アスキーは、2012年の途中から表紙に「No.○○」という表記を掲載するようになりました。本ブログの掲載号表記はそこによっています。