単行本感想:『ヴィジランテ』6、『ちんちんケモケモ』2、『ボクらは魔法少年』1、『青のフラッグ』5、『繭、纏う』1

たまにはこういう記事も。


ヴィジランテ-僕のヒーローアカデミア ILLEGALS- 5 (ジャンプコミックスDIGITAL)ヴィジランテ 5 ―僕のヒーローアカデミアILLEGALS― (ジャンプコミックス)
一つの山場を越え、物語は新たな日常へ。その様変わりにおいての淡々とした、しかしある一人にとっては切実な達成。人知れず、仲間にも秘密裏に戦わねばならなかった立場と重み。タイトルに掲げられた「イリーガル(不法・非合法)」の指す、公ではなく私人としての物語である。その者にとっては、ただただいるべき場所を選び続けた結果のこれまでとこれからであり、そこに“英雄譚”を幻視してしまうこともまた周囲の、そして読者のわがままなのだよな。
内容としては、新たな局面へ向けての仕込みに幅を割かれている。新ヴィランの特殊すぎる能力についても、古橋秀之のプロットならば衝撃の理屈づけと対抗策を見せてくれるに違いない!と信じるのが昔からの読者としての身上。
あと、舞台が大阪ならばカニ!という直情的なネタ能力ぶりも好き。




  • 藤咲ユウ『ちんちんケモケモ』2巻

ちんちんケモケモ 2 (ビームコミックス)ちんちんケモケモ 2 (ビームコミックス)
1号100円のコミックビーム電子増刊「コミックビーム100」にて、とりあえず最長連載の本作。年下幼なじみが獣に憑依されてのほんのりセクシーでラブでコメ、とまあベタな萌えマンガ設定と言っていいんだけども。技巧的に読んでて楽しいのだ。まずはかわいいけどもだ。



加えて。右ページ下のコマで、主人公のメガネ男子・むいがヒロイン・譲葉(メイド服姿)に後ろからタックルされての、左ページはこうなる。

そこでの読者の視線の動きを図示すると、つまりこうである。

●1コマ目、右下から入った視線は左方向へ。背景は左に傾いた斜線、コマ枠線も下部は左に傾いており、コマ内の二人の顔の向きも、運動方向をそちらと読ませる。右ページ下部の前コマではほぼ全身見えていた二人が、左ページ上部に視線をやると顔のアップに、という点もより動的な絵と感じさせる。視界にまず入る譲葉の顔が上半分だけであることも不安定さをあおる。
●コマ内の運動方向は左下だが、読者の視線は二人の表情を追って若干右上に向かい、吹き出しへ。この髪の毛のトーンも、黒色を追う視線の流れを途切れさせない効果になっている。で、コマ左側の吹き出しが、枠線をつぶし、ページ左方向へはみ出す断ち切り。読者の視線は上部左端まで寄る。
●その下のコマを読もうと、視線が左から右に折り返して、まず目に入るのが主人公の隣に立っていた別ヒロイン・七ツ橋である。その頭部にさっき読ませた吹き出しの角と、コマの下部を重ねることで、視線を誘導。キャラの体勢もまた、折り返してきた視線がそれを追って、左上から右下方向へスムーズに流れるよう描かれている。その体勢で描くための構図がとられている。
●2コマ目は枠線なし。1コマ目が顔のアップであるのに対し、2コマ目は全体像であることもあわせて、開放感をもたらす。七ツ橋を追った視界に入るのは、次の吹き出し「お前なん…おごっ」とコマの全体像。この吹き出し中の「おごっ」と、オノマトペの「べしゃっ」が同じタイミングで“聞こえる”状況なわけである。七ツ橋と「お前なん」が2コマ目上部、むい・譲葉と「おごっ」「べしゃっ」が2コマ目下部、という絵面。
●1コマ目で傾いてたむいと譲葉は、2コマ目で倒れ込んでいる。1コマ目では左下へ向かって倒れていたのが、続く2コマ目では右下へ向かって倒れ込む、と述べると違和感ある描写になりそうなものだが(イマジナリーラインってか、笑)、この視線誘導の技巧の上で読むと、“動き”としてスムーズに認識することができる。視線の動く方向に沿って倒れ、また視線の折り返しとリンクして二人の位置関係が逆転することに、読んでいて違和感を覚えない。これが構成力であり、技術であり、見映えである。
●2コマ目(左)上部の七ツ橋と「お前なん」の“空間”と読者がそれを見る間(ま)は、倒れ込むむいと譲葉の動作とは断絶してもいる。(コマの全体像は一枚絵として見られるものだが。)そして、「おごっ」「べしゃっ」を読むのと共に、倒れる二人のまとう右下方向への動線も視界に入るわけである。また枠のない2コマ目において、下部枠線の代わりとなる3コマ目の上部枠線を右に傾けることで、1コマ目同様に運動方向をそちらと読ませる。
●2コマ目全体を左上から右下に視線で追うと、3コマ目右側から上にはみ出した吹き出しが目に入る。そのまま吹き出しを読み、3コマ目を左に追って、このページは読了。2コマ目と3コマ目におけるむいと譲葉の位置関係が同じ(体勢・構図としては別物)である点も、認識上、スムーズにつなげて読ませる効果をもたらす。
→そういうわけで。もちろん全ページにここまでの技巧が見られるわけではないのだが、作家の地力としてこういう手腕ものぞくことが私には重要なのである。構成力の確かさにより提示される、ということに弱い。表現に自覚的でありそれを工夫できる作家は、同様にそこで動かす内容についても理を捨てない。
チャンピオン連載の福地カミオ『猫神じゃらし!』も、同じ理由で好きだったなー。新人離れした確かな画面構成力で、あとケモかわいいで。あるいは、“かわいい”を描く選択肢としてのケモ娘、という同時代的帰結。
猫神じゃらし! 1 (少年チャンピオン・コミックス)





ボクらは魔法少年 1 (ヤングジャンプコミックスDIGITAL)ボクらは魔法少年 1 (ヤングジャンプコミックス)


といった雑談はさておき。元ジャンプ連載作家の描く、魔法少女もの×女装少年である。はい。
福島鉄平という作家は私にとって割と興味深い存在で、Twitter上でも何度か言及している。まず、『月・水・金はスイミング』(2011年発表読み切り)、『反省してカメダくん』(2012年発表読み切り)について。
2014年発売の単行本『アマリリス』、特に女装少年という男娼を描く表題作を読んで。
そして、本作初回の印象。

と、やたら山松ゆうきちの名を持ち出しているわけだが。つまりは山松の単行本でも口当たりいい方の『プロフェッショナル列伝』あたり、あるいは咀嚼された形だと小林まことの劇画・長谷川伸シリーズのような、キャラクター性が“(ホラ)話”の脈絡そのものに昇華される民話的たたずまい。特に初読時しびれまくった福島の2014年の読み切り『イーサン飯店の兄弟は今日も仲良し』には、それらに通ずる“おはなし”としてのイズムを強く感じたもんである。新たな民話世界の語り部であるぞと。
さて、その目で福島の新作『ボクらは魔法少年』を読んでみるとだ。どうもつかみ所ないわけだが、要は今時な属性なりメソッドなりに回収されない作品ではあるわけで。ヒーローを描くが、やることは日常のトラブル解決(犯罪者退治含む)。ヒーローの悩みを描くが、主としてそれは少5男子の自己認識。とくれば、そこで描かれるストーリーテリングも『サムライうさぎ』で初連載、『こども・おとな』まで描いた作者のこと、突飛な飛び道具設定内で、それなりにうじうじしてもちゃんと目覚めの挟まる寓話的世界でよさそうなもんだし、実際そういう面や、友達とケンカしたけど仲直り、という日常風いい話もあったりする。しかし、あくまで物語の突破力としてあるのは、魔法少年として“己のまとう「カワイイ」を讃えよ!”であり、で、その「カワイイ」も人間的本質がどうのな脈絡じゃなく、あくまで美観、あくまで“天授”なのである。(それが魔法パワーになるという動機付けは一応されるが。)
本作同様にヤングジャンプ掲載の女装ものといえば、昨年まで柴田ヨクサル原作の『プリマックス』が連載されていた。これもすごい作品なんだけども、そこにおける「カワイイ」について、柴田はインタビューでこう答えている。

――「女装した男子高校生が“カワイイの星”を目指す」というストーリーを着想するきっかけはなんだったんでしょう。



柴田:「ももいろクローバー」が爆発的に売れる前にひたすら頑張っている姿を見て、私も力をもらった時期がありまして。彼女たちの「全力でカワイイ」に挑む姿みたいなものを見ていました。
そうした自分の体験もあって、「カワイイ」という、ハッキリ説明できない、フワッとそこにあるような…人間の文化の中でも普遍的に人をくすぐるというか、怒りや憎しみとは真逆の感覚の「カワイイ」が、ある時、男子高校生(主人公のモン太)の生きる力になった、というところから『プリマックス』を思いつきました。
www.comicsync.com

普遍的な、人間の生み出す力としての「カワイイ」。これ、『ボクらは魔法少年』における概念と対極といえるのではないだろうか。その点で、ちょっと気になった場面もある。

「カワイイ自分(魔法少年)」を愛でる行為を、人としてどうか、と言われた時に、魔法少年には大事、と返してみせる。自分が作った自分のカワイイを肯定し、それが力となるプリマックスとは異なり、ヒーローたる力としてのカワイイを天授としてまとう魔法少年。そもそも本作の場合、その天授自体もすごくあっさりだし資質や資格があるのかもわからない。しかしイノセントな少年は、カワイイ女装とヒーローというその使命に燃えるのだ。あれ、その異人たる求道者感って、やっぱり山松ゆうきちなのでは?『2年D組上杉治』あたり。(そこかよ。)
そんなわけで、正直よくわからんが異色の力はあるので読み続けようとは思いました。あと、この作品の魔法少年コスチュームのフリフリ感って、個人的には弓月光みたいにファンシーやメルヘンよりもディティールというか実体っぽさが先立つ印象で、それで読めるってのはある。あえてやってるんだろうか、そこ。




  • KAITO『青のフラッグ』5巻

青のフラッグ 5 (ジャンプコミックスDIGITAL)青のフラッグ 5 (ジャンプコミックス)
いやー、ジャンプ掲載で全5巻とはいえ、KAITOの初連載『クロス・マネジ』の青春ドラマ描ききった感は本当よかった。好きでしたわ。で、ジャンプ+でのKAITOの現行連載『青のフラッグ』も同じく学園で青春で、という枠組みながら、5巻を読んで本当にびっくりしたのである。ああ、これをやろうとしてたのか、と。

5巻で中心となるキャラクターは序盤からサブキャラとして、「ウェイ系」なり「ギャル」なりとして描かれてきたマミなのであるが、彼女がすごい。“普通”であるその人を、“物語”の枠組み自体が歪ませうることを読者に見せる、その構造がすごい。その言葉と内面と生きざまが虚心坦懐にあれない世界への怒り、生きることがすなわち戦い。そして読者にとっては、マミのその抗う姿とマミに相対する側の認識、どちらもが原罪であったり業であったり同じく戦いであったりするわけだ。日常としてなあなあやれることもまた、戦いだったり救いだったり。
「ウェイ系」であり「ギャル」であるマミの行動を、この作品の主人公側──つまり“読者(の嗜好)側”──である「青春ドラマ」キャラが批判する場面がある。主人公サイドはそこで自分の偏見・先入観を“知恵”と自称して、“敵キャラ”へのレッテルなりカテゴライズなりの正当性を説くわけだが、しかしその「理解」こそが物語上のトラップだったわけだ。
だからここで、その物語に胸打たれたからといって、マミがカッコいい!好き!と言ってしまうこと自体、また違う気がするのだよな。キャラクターをお前の“理解”におさめるな、と読者に告げる為、この作品にマミがいるように思えて。それほどに読者の求める「物語」の地平の揺るがし方が強烈だった、パラダイムシフトってやつか。ピュアな主人公達の秘めた恋心という青春、とわかりやすいフックで始まったこの物語が、しかし誰にだって内面と世界はあることをレジスタンスばりに読者へ見せてくる。ある意味、キャラ萌えをゆるさないおはなしであること、カウンターカルチャーってやつか。




  • 原百合子『繭、纏う』1巻

繭、纏う 1 (ビームコミックス)繭、纏う 1 (ビームコミックス)
コミックビーム連載の次なる話題作はこれ、になるのかな。内容についてはビームの感想記事中で毎回触れているので、あらためて言うこともないのだが(ブログ内感想)。単行本買って奥付を見たら、担当編集が青木氏でちょっと驚いた。


あと、装丁がすごくよいですよね。



(了)