女児向けアニメ「ここたま」シリーズの新作が先月より放送開始されました。前作『かみさまみならい ヒミツのここたま』を、好きな脚本家・土屋理敬がシリーズ構成だという理由で見ていた私ですが十分楽しめましたし、土屋脚本の映画版もとてもよかったです。氏が続投する『キラキラハッピー★ひらけ!ここたま』も、もちろん見るのです。
あと、新主人公の声優が高橋未奈美なのである。私が土屋脚本に入れ込むきっかけとなったのはアニメ『アイドルマスター』なのだが、その余波として今日までプレイ続けているソシャゲが『アイドルマスター ミリオンライブ!シアターデイズ』(ミリシタ)なのだが、そのゲーム中の当方一押しキャラが最年長ロリババアという一見キワモノながら歌うと仲間とふれあうとしっかり大人をキメてくる心意気がセクシーなお姉さんアイドルこと馬場このみさんであり、そしてその声優が高橋未奈美さんなのです、これはもう円環ですね俺には、はい。
というわけで相当遅ればせながら、土屋理敬が脚本担当の「ひらけ!ここたま」第1話感想です。放送前に冗談でこんなツイートしてたら、わりと“そういう内容”だったかもよ、という話。↓
ここたま新作、シリーズ構成が「土屋理敬」続投、主人公の名前が「はるか」、メインここたまの名前が「リボン」ということで、もうアニマスの24話をやるしかないじゃない! pic.twitter.com/VLiNrcUtoA
— 原原カカリヤ (@genbarakakariya) 2018年8月23日
第1話「運命の出会い ひらけ!幸せの扉」
●物語の始まりは過去の風景。満開の桜の木、花見をする人々。まだ幼い頃の主人公・はるかと祖父(じーじ)。はるかは桜が好きで、その理由は「だって桜を見ると、みんなとっても嬉しそうなんだもん!」/初手から、人々の喜ぶ姿を己の幸せとできる主人公力を見せるはるか。1話全体を見ても、あくまで無垢の善性としてあった前シリーズ主人公とは毛色を変えてきた印象。
●じーじの話す、桜の木に願う=幹の穴に願いを書いた紙を入れると、桜が叶えてくれるという言い伝え。幼いはるかの願いは「桜町のみんなが、ずーっと幸せでいられるように」。
●「その願い、きっと叶うぞ」。じーじ作・桜の花びらの入ったリボン=桜リボンがはるかにプレゼントされる。「はるかが幸せになりますように、と願ってな。」「ありがとう!ずっとずーっと大事にするね!」風に舞う花びら、桜の木にほほ笑む二人。
○プロローグといえる過去編はここまでだが、主人公・はるかにとっての“幸せ”とは何か、が語られている。はるかは町のみんなが嬉しそうだと自分も嬉しく、それが続くことを願っている。じーじにとってはその願いの共有が、はるか自身の幸せを願うこと。桜の木を見るみんなの笑顔に象徴される幸せ、それを形にしたのが桜リボン。
○さらに。土屋脚本好きな私としては、ここから氏の別作品へと連想が続く。“みんなが幸せな場所”を願った『プリパラ』シリーズ主人公の真中らぁら&夢川ゆいを重ね、しかし場自体が夢かつ基底としてあったプリパラとは異なるか?と考える。あるいは、「みんな」という夢を見た『アイドルマスター』24話の天海春香(名前かぶりだ)なのだろうか、いずれそういう問いかけの瞬間もくるのでは?などと思ってみる。まあこんな感じで進むブログ記事ですよ。
●現在。小学生のはるか、桜リボンのアップからの入り。じーじのアンティークショップへ走る。はるかいわく「私、ここにあるもの大好きだもん!」「想像すると楽しいんだ。いっぱい大事にされたのかなあ、いろんな思い出が詰まってるのかなあって」。/前主人公においては最終話の前の回でクローズアップされた、古物に持ち主=知らない他人の想いを見る心境へはなから至っている新主人公。
●じーじいわく「はるかのような人に使われたら、物も幸せだろうなあ。」物憂げな表情になって「近頃はあっさり物を手放す人が増えたよな。」/後半は一人言に近くて、笑顔のはるかに聞かせているものでは必ずしもない。二人の差を感じる場面。
●店の側に生えている桜の木。木の前の岩にこしかけるはるかとじーじ。「もう5年になるね、咲かなくなってから。」「桜が咲かなくなってから、なんだかこの町にも活気がなくなってしまった。」「…でも大丈夫!きっと桜はまた咲いて、町のみんなも笑顔になるんだから!それまで私達で、桜町を元気にしよう!」/失われたもの、取り戻したいものの提示。
●風が吹き、桜の穴から紙が落ちてくる。「来た!」と反応するはるかとじーじ。なくした手紙が見つかるように、という文面。「隊長!」「ああ、はるか隊員。桜町まもり隊、出動!(左手こぶし握ってグッ)」「はい!承りました!(右手こぶし握ってグッ、の二の腕に添えた左手の人指し指をピンと伸ばし、右足を膝曲げて上げ、笑顔でウィンクし、背景もファンキーに、要はかわいい決めポーズ)」。
●聞き回り探し回り見つけた手紙を、願い事をした子の家の門の上に。「よかったー!」と喜ぶ女の子の姿を離れて見て、小声で「いえーい」とこぶしを打ち合わせるはるかとじーじ。/ミッションコンプリート!
○放送前から公開されていたはるかの設定、「物を大切にする」「桜町まもり隊」の登場。あの時から変わらず桜リボンを、町のみんなへの思いを大切にしているはるか。その一方で、はるかの幸せの象徴だった桜はすでに失われている、今のはるかはまた桜が人々を笑顔にすることを夢見ている、という少々苦い構造。覚えている記憶としての、想像する未来としての、みんなの笑顔。今、自らの活動で生み出している笑顔は、小学生(設定では5年生)のはるかが叶える側であることからも、あくまで小さい子のものに限られるのだろうか。それでも結構なことだけど。(注:最新5話にて、若い女性の願い事も叶えられた。)
○ここでは“笑顔”に集約される、この種の観念のずれでドラマを作る土屋脚本については、『機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ』1期の土屋脚本回を通して見ていただきたい。“夢”の差異の現れる時。『アイドルマスター シンデレラガールズ』19話も、木村夏樹のカップリングじゃなくて彼女個人の自覚を見る話だってば。
○アンティークショップ好きとして表現される、はるかの物への愛情。同時にここでは、古物を引き取ってもらった客が徒歩で帰る様子も出てくる。つまり「ここにあるもの」「いろんな思い出」もまた町の範囲内でのこと、かもしれない。
○土屋脚本の映画版『ヒミツのここたま』中にはバザーが出てくるが、それ自体は題材として掘り下げられることはない。しかし、エンディングで物が新しい持ち主(TVアニメ視聴者にとっては既知のキャラ達)の手に渡る様子を見せることは、本編で描かれる物とそれに象徴される夢に戻ってくる人物の姿とはまた異なる形の、誰かから誰かへ、という物への愛情の物語だと思うのだ。アンティークショップ設定もそれに通じるやも。(注:最新5話にて、事態解決の為にショップの品が買われた。その際のはるかのセリフ、「(買われた)時計もうれしそう」。)
○物にまつわる記憶と体験、というネタでいえば土屋脚本的には『クラシカロイド』でやっていたりもするのだが。ただ、ガジェット的にまず私が連想したのはギャルゲーの『CLANNAD』なんだよなあ。町の幸せで大事にされたもので木ですよ、そりゃあもう。
●帰路につくはるかとじーじ。「これからもどんどん二人で、みんなをハッピーにしちゃおうね!」というはるかの言葉に、立ち止まるじーじ。場面はアンティークショップに移り、「桜町まもり隊やめちゃうの!?」というはるかの叫び。じーじいわく「ずっと昔に桜の木に願った夢があってな。世界中をまわって、いろんな人々に使われた古いモノを見て歩く旅をしたいんだよ。」「もうわしも年だし、思い切って行ってみようと思ってな。」/じーじがかつて桜に願った夢は、すでに自分自身で実現できるものである。またその内実も、はるかにとっては町内とアンティークショップ内で見られるものが、世界中に(≒どこにでも)存在する、という認識による。こういう“差”の描写をさらっとはさんでくるのが土屋脚本である。
●じーじの夢に感嘆の声をあげるも、「じーじはいなくなっちゃうんだ…そしたら、このお店もなくなっちゃう」と悲しげな表情で店内見回すはるか。しかし笑顔でふり返り、「うん、わかった!じーじの大事な夢だもんね!」/このシーン、オルゴール調のBGMが実に合う。前シリーズにおいても効果的な曲調だったが。
●桜の木の前に立つはるか。「ごめんね、桜さん。桜町まもり隊、もうできなくなっちゃうんだ…」。木を見つめる横顔。幼い頃に願い事をした自分の姿がフラッシュバックし、はるかの表情が引き締まる。「そうだよね、決めた!」高台から町を見て、笑顔で両手ふり上げるはるか。「やーるぞー!」桜リボン、そして桜の木が光る。/町に向かっての決意。
●夜、はるかとじーじの会話。店を引き継ぐ、桜町まもり隊もやる、と宣言するはるかに驚くじーじ。「(※目を閉じて)あの時みたいに、桜の花がいっぱいでみんなが幸せに笑ってる…(※目を開けて)そんな桜町に、私一人でも戻してみせる!」両手のこぶしを握るはるか。「ああ…」と虚を突かれた顔のじーじだが、「うん…」と感慨深げに目を閉じてうなずき、「わかった」と笑顔。「では頼んだぞ、新隊長!」「はい!承りました、元隊長!」笑顔で片手こぶしを握る二人。/はるかの言葉が、「きっと~なるんだから!それまで私達で~しよう!」から「私一人でも戻してみせる!」へと変わる。奮起。
○桜町まもり隊として「みんなをハッピーに」する夢を邁進していたはるかと、自身の夢を叶える為にそこから離れるじーじの岐路。この“現実”と“夢”の代替については、『ヒミツのここたま』のぞみ編と近い構造を感じるところ。
実際この点、ここたまのぞみ編は土屋らしい凝った構成で、遊園地回にて主人公と協力して少年を助ける=夢の原点である過去の自分を救う事により、友情と日常≒現実が始まり、手段であった夢は素直に願いを告げることで解消され、それと引き換えの現実との別れを最後に幻想=夢の中で告げるという。
— 原原カカリヤ (@genbarakakariya) 2018年8月23日
○表情による感情表現も細かい。実際それらは脚本より演出によるものかもしれないが、私としては土屋脚本間での連想を書き留めておく。桜の木の前でのはるかのまなざしの変化には、『アイドルマスター』24話冒頭の美希と『鉄血のオルフェンズ』22話冒頭のクーデリアとの相似を感じる。共に内面の自立、仲間と一線をおく瞬間を感じさせる場面。
→一応言っておくとその後の展開、物語におけるその要素の働きはバラバラである。そうであってこそ、共通する側面に意図と作家性が見出だせる。
○なお、私がこれらの視線とは逆の意にとっているのが、シリーズ前作『ヒミツのここたま』17話クライマックスでの主人公・こころのまなざしである。追い詰められた時に、友達を信頼する、そこに託して自らを受け入れてもらうしかない局面。友達に応えてもらえた瞬間に開く目。
→こころが「(ウソをつく)私のこと、信じてほしいんだ!」と告げ、ウソをつかれていると理解した上でなお友人が「信じるよ」と応えた時。そこにおいての虚と実とはなんなのか?
○もう一例、『アイドルマスター シンデレラガールズ』11話より。「信じていいのですね?」と問いかけ「もちろん!」と応えたアイドルユニットに「頑張ってください」とうなずいたプロデューサーが、彼女達のデビューステージを見つめる、舞台上のアイドルと見つめ合いうなずき合う、彼女達が“本物”になる瞬間に向けての場面。
→信じる側が冷静に見つめ続け、信じられた側の表情が変わる、信頼に応えようとする場面。元々プロデューサーは無表情キャラ、という見方もあろうが、この話の前半において、アイドルから不信感を向けられたプロデューサーが普段の無表情をはっきり崩し、あせって反論する描写も入れてあるのだ。その対比も仕込んでおく土屋脚本である。
○土屋脚本の作品を見ていてしばしば私が感じるのは、「夢」を信じる様それ自体が肯定されるのではなく、信じられるべきは「夢見る者」である、というテーマだ。
アイドルタイムプリパラ最終回前の土屋脚本も、“夢を信じる”危なさを理解するからこそ「夢を忘れた夢」「夢を思い出して」という言い回しが用いられる。幻想としてしかないそれ自体でなく、それを抱えている生身・運動状態が物語における希望。だからゆい対しゅうかという対立構造が出てくる。
— 原原カカリヤ (@genbarakakariya) 2018年7月8日
→ウソ・虚偽であることと、それを夢として保持する人間であることの“真実”は別である、と。この辺の寓話性掘り下げると、俺としては業田良家や田中ユタカとつなげて語ることになるわけだが、割愛。とまれ、私がここで触れておきたいのは土屋脚本の、一人で夢を抱える者が宙を見据える、信頼を受ける者が視線を受けとめる描写、その際の表情の変化についてである。ここでのはるかにおいては、夢の象徴の桜の木を見つめることが、同時に宙を見据える構図にもなっているわけだが。
○まもり隊継続を告げるはるかの、記憶を語る際は目を閉じ、これからの目標を語る際には目を開ける、という表情。過去の記憶が、また夢でもある。
→はるかの記憶が映像として挟まれる一方で、春香さんが幼い頃の自分と出会うのが土屋脚本『アイドルマスター』24話「夢」である。『メジャー』5期のアニメオリジナル最終回でも主人公が幼い頃の自分と出会うし、『プリパラ』25話では二人の女性が幼い頃を幻視される。土屋脚本中での「夢」の扱いにおいて、鏡像としての自らの過去の登場はしばしば見られる表現だ。使い方は異なるからね、しかし。
○はるかは幼い頃の自分を思い出すが、面白いのはシリーズ前作『ヒミツのここたま』においては、それがのぞみ、ひかりというシリーズ毎のサブ主人公の役割だった点だ。のぞみやひかりが幼い頃からの夢を思い、それがストーリー進行の原動力となる一方で、主人公・こころはあくまでニュートラル、イノセントな子供としてある。彼女の幼い頃の回想として登場するのは、祖母から聞かされた、ものにはみんな魂がある・ものを大切にするといいことがある、という寓話。そのワンオブゼムたる無垢の善意であってこそ“世界”を救うというおはなし…なんだよなあ、『ヒミツのここたま』最終シリーズと映画におけるクライマックスって。そこから切り換えての、過去からの夢を持つ、“町”の幸せを思う新主人公がどうなっていくのか。
○はるかの決意を受けてのじーじの驚き、そして納得の表情。
→そこにあるのは孫の成長への感慨だろうし、ひょっとしたら“あきらめてもいい”と思った上で託しているのかも、ととれる。私にとっては、夢の前提にある諦観(「現実」「他者」との相克)もまた土屋脚本に感ずる要素であり、その上で自覚的な物語化を行っていると思えるので。だからこそ「夢」自体ではなく「夢見る者」の力を信じるのだろうと。映画版『ヒミツのここたま』が“大人”の目線からは、ここたまに出会うことのなかった我々の「夢」を扱う物語であったように。アニメオリジナル回の『メジャー』5期22話が「終わらない夢」というサブタイトルを掲げて、かつて主人公(=夢を追い続ける存在)と接したサブキャラ達の“現実”を生きていく様を描いたように。
●翌朝。「なんだかよく眠れなかったなぁ…」と不安げなはるか。「今日から一人なんだ…一緒に頑張ろうね、桜リボン。」目を閉じて桜リボンを胸に抱くと、リボンが発光するもはるかは気づかず。鏡をのぞいて笑顔を作り、「うん、スマイルオッケー!」旅立つじーじにも笑顔で手を振る。「よーし!」と両手こぶしでグッ。
●「アンティークショップ、オープン!」店中を掃除するも、夕方には「本当にお客さん来ないなあ…」と机に突っ伏すはるか。「あ~、なんか急に不安になってきたあ…」と、頭のリボンに両手で触れる。「ううん、そんなことない!」外した桜リボンを手に、再び引き締まった表情。「大丈夫、ちゃんとできる!」桜リボンを握りしめる手。「一人でも頑張るんだから…一人で…」。あくびをし、そのまま机で眠り込むはるか。
○はるかが桜リボンを心の支えにしているのを見てとれるパート。胸に抱き、触れ、握りしめる。何より彼女の夢の原点に、象徴としてあるもの。不安に苛まれ続けるも気を張って働き、睡眠不足もあってつい眠り込んじゃうのである。大変。
○アイマスの春香さんもリボンがトレードマークとか言われるのはさておき。ここで私が連想するのは土屋脚本の『アイドルマスター シンデレラガールズ』23話における島村卯月である。精神的に追い詰められる卯月と、不安でいっぱいのはるかの相似。
→鏡の前で笑顔を作る二人。店主とアイドルという、営業スマイルとしての面はあるのだが。
→「島村卯月、頑張ります!」ポーズ…の方はたまたまだろうけど。一人で頑張る状況を自覚させられ、なんとか強がろうとする少女。そこで卯月の方は悲嘆にくれることとなるわけだが、はるかは眠り込むのである。一旦その“現実”から離れる。
○ここで私は、土屋脚本の『団地ともお』36話Bパート「よその子になっちゃいなさいともお」ラスト30秒のアニメ版オリジナル描写を見てくれ!と声を大にして言いたいのだが。『団地ともお』のこの回は、原作では悲しみの感情を抱いたまま終わる。しかしアニメ版では、最後に子供が居眠りすることで、一瞬でも現実=悲劇を忘れられることの救いを見せてくるのだ。それしかない、という切なさで、それでも温かさで希望と映るのだ。もとより土屋脚本は幻想(夢)の使い方が上手いが、眠る、意識を失うこともまた希望の入り口となるわけである。つまり、ここにきてここたまの出番、ファンタジーの始まりである。
●桜リボンが光り出し、光が卵になり、卵が割れてここたま・リボン誕生。「生っまれたー!」喜びながら駆け回る。「私、走ってる!動いてる!感動ーー!」/『ヒミツのここたま』1話のラキたまにおいては、ミュージカル調で表現された自分で動ける喜び。この手の描写はよい、生を得たのだ。
●「はるか!本物のはるかだ!会えてよかった~」。涙ぐむリボン。眠るはるかが苦しそう、とあわてるが「じーじ…私、一人で頑張るから…」とうなされる様に、「そうか、はるかは不安なんだね」と思い至る。/リボンははるかのことが好き。そして寝言の真意に気づく。はるかの本心を、リボンだけが知る。
●「人を笑顔にする私の魔法で、今すぐはるかを笑顔にしてあげる!」おしりを振って魔法を使うリボンだが、魔法の光は消滅してしまう。再度おしり振っているところで、はるかが目覚めて謎生物に叫び声。あわてて卵に隠れるリボン。「なにかいたよね…」とはるかが卵を手に持つと、卵から光が伸びてはるかを包む。卵が消えて現れるリボンと鍵。見つめ合って叫ぶはるかとリボン。CMへ。
○リボンの登場は、前シリーズよりも主人公とのパートナー感を強く感じさせる構成。主人公が苦しんでいるタイミングで助けに現れ、さらに主人公の夢の象徴から生まれたのだから。このあたり、無垢な主人公と彼女が長く使っていたもの(=好きな色鉛筆)から生まれたここたま、という前シリーズの関係よりも設定として深めてある。もっとも重ねて言うが、前シリーズはワンオブゼムであることが“おはなし”としてのよさなので。
TVアニメ「かみさまみならい ヒミツのここたま」第1話
●CM開け、号泣するリボン。「見られちゃったー、なんでー!?」じたばた。「ねえ、あなたは誰?」とはるかに聞かれると、泣き止んで一息ついて笑顔で自己紹介。「私はリボンの神、ニコニコのさくらリボンのみこと。リボンって呼んで!」/ここたまの暴れるちょこちょこした動きとかかわいいんだよな、やっぱり。
●「はるかの桜リボンから生まれたの!」「桜リボンの中でずーっと一緒にいたんだもん。はるかが桜リボンを大事にしてくれたから、見習いここたまとして生まれたの!物にはみーんな魂があって、大切に使ってもらうと私達ここたまが生まれるの。ここたまは大切にしてもらったお礼に人間のお手伝いをして、いっぱい幸せにするの。そしたらいつか、見習いから一人前ここたまになれるの!」/アンティークショップ内をパンしつつ、説明台詞。
●「へ~~!」と笑顔で聞き入るはるかのポニーテールに飛びつき、耳元で「だけど、ここたまは人間に見られたら元のモノに戻らなきゃいけない決まりなの…」と一転悲しげにささやくリボン。はるかの頭上に登り、「せっかく生まれてはるかに出会えたけど、私は元の桜リボンに戻ります!」と消滅宣言。「はるか、短い間だけどお世話になりました…」涙にくれるリボン。あわてるはるかを尻目に「とう!」と桜リボンに向かってジャンプするも、頭ぶつけるだけで戻れず。「あたたたた…」と頭抱えて痛がるリボン。「今度こそ!」と飛びつくもまた頭ぶつけるのみ。/ころころ表情とテンション変えてくり返しでしめるギャグ、好き。
○出会いはギャグパート、可愛さアピールと設定説明である。のっけから見せる切り換えの速さ芸、もといつくろい方は、じーじから出立を告げられたはるかのそれと重なる印象も。おバカっぽいけど真剣。
○リボンの語る「物にはみんな魂があって」「大切にしてもらったお礼に人間のお手伝いをして」という言葉。前作『ヒミツのここたま』においても同様の設定説明は出てくる。しかし『ヒミツのここたま』1話ではまず、主人公が幼い頃に祖母から聞いた寓話として、「どんな物にも魂がある」「大切に使ってあげたらきっといいことがある」と提示される。そのおはなしに親しんでいる主人公像があって、それゆえの必然、共鳴として主人公・こころとここたまは出会い、物語が展開されるわけだ。
○一方で、『ひらけ!ここたま』でのはるかと桜リボンの関係はまた特別なものにも思える、が。正直私のようなオッサンには、女の子にとってのアクセサリーとの関係というのはピンとこない。肉親からもらった装飾品、につい性分として“イベント性”を“特殊アイテム”をそこに見てしまうけれども、おそらくこれも平易で日常的なおはなしなのだろう、とも。オープニング映像見ても、本編で最初に登場するここたま3匹(リボン・ピロー・ちゃこ)ははるかの「日用品」から生まれたものとして、より近しい関係にあるようだし。
○そのこととはまた別に、アンティークショップという舞台設定はハレの場としてあるのだろうとは思うが。『ヒミツのここたま』では、グローバルな旅を続けるのぞみの父が珍品コレクションしてたっけ…じーじもああなるのかな。
●「何これ!」と、自分が持っていた鍵に気づくリボン。はるかの説明で、自分の卵が消えていることにも気づく。「鍵…なんか聞いたことあるような…。」頭から湯気を出しながら考え込むリボン。「思い出した!伝説の契約者!不思議な鍵を使って、ここたまと一緒に幸せの扉を開く特別な人間!はるかは伝説の契約者だったんだ!」その意味するものについては「わかんない!」/コミカルな演出の中、ファンタジックなイメージカットはさんですごい事言ってるっぽいけど、その実よくわからないという。
●涙ぐむリボン。「よかった…はるかは伝説の契約者だったんだ…。」パッと笑顔になって、「だから物に戻らなくていいんだ!」はるかの胸にとびつくリボン。「これからは、ずーっとはるかと一緒にいられるんだー!」ぴょこぴょこ片腕を曲げ伸ばし。「大好きなはるかの側で、いろいろお手伝いしたりお出かけしたり。あと一番やりたいのはあれ!桜町まもり隊!」リボンを両手に乗せるはるか。「そのことも知ってるの!?」「もちろん!はるかが新しい隊長だから、私は新しい隊員第1号!」片手をグッと曲げてみせるリボン。「桜町まもり隊、出動!」
●ひとしきり笑って大きく息をつくはるか、不思議そうに見つめるリボン。「はるか、どうしたの?」「私、じーじがいなくなって色々一人でできるかなあって不安だったんだ。でもふっとんじゃった!だって、こーんな楽しい友達ができたんだもん!」うれしそうなリボン。両手広げて笑顔で叫ぶはるか。「あー、よかったー!」
○何がいいかってねえ。放送前から公開設定としてぶち上げてた「伝説の契約者」が、オープニングアバンのナレーションでは「世界を救う」とまで言ってるその設定が、ここでは一笑いの前フリでしかない点ですよ。現時点ではクリシェでしかないそんなことよりも、二人にとってのリアルである出会えた喜びをこそ深く描いて見せる。その為の第1話の構成なんですよ。上手いし、好きだ。
○さておき。『ひらけ!ここたま』における新設定が登場。土屋脚本で鍵と扉といえば、直近ではどうしても『Lostorage conflated WIXOSS』が浮かぶわけだが。Lostorageクライマックスの繭の部屋を始め、扉の隔てるもの、という表現も土屋脚本ではしばしば見られる。例えば『アイドルマスター』20話の千早、『鉄血のオルフェンズ』22話のオルガ、『アイドルマスター シンデレラガールズ』19話のアスタリスク楽屋前の夏樹、『クラシカロイド』10話のジョリーの誕生、『アイドルタイムプリパラ』50話の忘れられた夢に閉じ込められたらぁら。最後の以外は開けない方が正解では?とも思えるが、つまり子供向け作品では“扉を開ける”ことを描くのだろう、か。
○「伝説の契約者」についても、リボンが喜ぶのはその権威(?)ではなく、自分が消えなくていい、はるかと一緒にいられるからだというのがまたいいんですけども。一方で『ヒミツのここたま』での契約者設定を知らないと、この特殊さも伝わらないのでは、というのはある。そもそも『ヒミツのここたま』との世界観のつながりもいまだ不明だが。(スタッフの一人はツイート内で「別の町」という表現をしていたが。)
○リボンの動き。はるかの胸に飛び込むのはもちろん愛情表現だが、不安を抱えたはるかが桜リボンを抱きしめていたこととも重なる。
→そして、間違いなくはるかの動きを真似ているのが、桜町まもり隊について語りながらの腕グッである。
→リボンが子供らしく言葉とポーズを真似することで、はるかとじーじが秘密裏にやっていた桜町まもり隊のこともずっと見守っていたことが伝わる。「一番やりたい」ことだと語らせることで、その活動を評価する。
○「一人で頑張る」ことの不安に苛まれていた女の子は、それは救われるであろう、この「友達」の言葉には。また同時に、リボンが失敗した魔法によるはるかの不安の解消=ここたま活動は、代わりにこうして想いを伝えることで成し遂げたこととなる。側にいてくれる存在から助けられる。「伝説の契約者」設定がすなわち属性として神話を規定するのではなく、前主人公・こころが立っていた寓話としての地平を、本作の主人公も歩んでいくことを思わせる。
○あと、はるかの「あー、よかったー!」の叫びのポーズは、桜町まもり隊の継続を町に向かって誓った際の「やるぞー!」と同様(またやる気が出た!)なのだが、今回は手にリボンが乗っているのであまり腕を上げられない。その差が好き。
※で。この場面を見て、私にとっては3年越しに得心できた、ような気がすることがあり。土屋脚本の『アイドルマスター シンデレラガールズ』23話終盤では、精神的に追い詰められた卯月と、泣く彼女に何もしてやれない凛に対して、未央がこんな言葉をかける。「私達さ、もっかい友達になろうよ!今から!」この危機的状況にそのセリフはしっくりこないのでは?というのが放送当時の私の感想である。さらに言えばこのセリフ、9ヵ月ほど先に放送された土屋脚本の『プリパラ』25話でもそっくりなものが出てくる。20年ぶりに再会できた、勘違いから恨み続けていたかつての友人からかけられる言葉、「なら、今からもう一度友達になりましょう?」こちらはセリフとしてすごくハマるし、感動的な場面なのである。その再演と考えるにしても、デレマス23話の未央のこのセリフ回しは、意図がよくつかめなかった。
※しかし、それから約3年後。「一人で頑張る」ことの不安から「友達」によって救われたはるかを見て、ああ、未央の言葉はこう“なれない”ことを描く為だったんだな、と思ったのである。『プリパラ』における復縁でもなく、はるかのように同志ができたことで進み続けられるのでもなく。そもそも『アイドルマスター』の春香にとっては「みんな」は「夢」の形でもあるが、卯月にとっての「みんな」は絶望をもたらすものでもある。『プリパラ』『ひらけ!ここたま』における「みんな」概念は春香寄りといえるが、それはつまり寓話として同じ地平だからだ。彼岸から「友達になろう」と言われ「待ってる」と言われて、その情を信じることで未知の入り口にようやく立てたのが、土屋脚本の卯月なのである。おはなしとしての真理、ロゴスに沿えたわけではない。
●はるかの胸から星が飛び出してくる。「何あれ!?」驚くはるか、あわてるリボン。「ハッピースターだ!」「心が幸せになると生まれるの。ハッピースターをいっぱい集めたら、一人前ここたまになれるの!」
●「これでよし!」と、ハッピースターをパンツにしまったリボンの耳がピクピク。「誰かの声が聞こえる…。」外の桜の木が光っている。「扉を開け、だって。」鍵が光り出す。
●鍵がオルゴールに反応して、オルゴールに鍵穴が見えて、はるかとリボンで鍵さし込んで開けるとオルゴールがお城になります。そしてハッピースターがお城のステージにかかげられ、リボンは謎の声の命じるまま魔法を使います。はるかがレバー回してリボンが踊ってハッピースターがとんでいって町に光が降り注ぎます。「キラキラハッピーシャワーだ!」跳び跳ねて喜ぶリボン。「もしかしてこれが幸せの扉…?」鍵とお城を見比べるはるか。第1話終了。
○おもちゃ販促バンクが華やか!そして長い!あと桜の木の謎!アンティークショップ設定は、アイテム享受の場としてもあるわけか。
…というわけで、本編の感想は以上となります。長々とどうも。
さて、冒頭で言っていた内容については、ご理解いただけましたでしょうか。
放送前に冗談でこんなツイートしてたら、わりと“そういう内容”だったかもよ、という話。↓
https://twitter.com/genbarakakariya/status/1032602372017553408
『アイドルマスター』の春香が「みんな」という「夢」を見て、そうあろうと歩み続けた結果の絆の円環に救われたように。『キラキラハッピー★ひらけ!ここたま』のはるかも、「みんな」の笑顔という「夢」への歩みを見守ってくれていた物に救われる、というわけです。
また改めて言いますと、ミリシタをプレイすれば、『ひらけ!ここたま』主題歌と同じ真崎エリカや松井洋平の作詞曲で、『ひらけ!ここたま』主人公と同じ高橋未奈美の声演キャラが踊るMVを見るのも可能なのです、はい。
あー、2話以降も楽しみだ!次週放送されるのもう第6話だけど!
(了)