ハルタ 2017-DECEMBER vol 50(その1)

  • 50号目。表紙デザイン変更。
  • 帯裏マンガ、丸山薫『図書室のキハラさん』は古本買いネタ。今時分にリアル店舗で古書チェックする人と、図書館利用者の親和性というのはあるかも。
  • 付録冊子は『ハクメイとミコチ』トリビュートブック。丸山薫の見開きが頭ひとつ抜けてる。



福島聡『バララッシュ』/新連載。予告にて前連載『ローカルワンダーランド』中の名篇「ストレート・アヘッド」と共通設定らしいことは示されていたが、それさえもブラフに第1話サブタイトル「大団円」でハッピーエンドの情景からいきなり入るときたもんだ、すげえ。この仕掛けをあらすじ紹介によってあっさりネタバレしたコミックナタリーどうなんだ、て感じだが、まあ前情報による体感だから味わえる読者には無関係か。
/というわけで、夢に燃える少年二人、という物語設定の序章としての、夢を達成したオッサン二人の姿である今回。それはすでに日常だ、コメディだ。そこにふとすれ違う、食い逃げ犯の姿。そのトラブルは二人とは異なる人生の、今を悔やむオッサンの姿だ。それが否定されるでも肯定されるでもなく傍らにある、ともすれば運命的ながら作中では些事として過ぎ行く、そんなリアルと情景。主人公二人はそんな事態をふくめ、人生に内面内圧もって向き合うキャラクター。そんな、ある地平と日常の描写だ。福島聡らしいユーモアと技巧の筆致が全編に満ちている、ワクワクする幕開けにして“結末”なのだ。
/冒頭の、音楽が流れていること示す五線譜に謎記号の表現とかいいよねぇ。あとオッサンという生身にあってのタバコ・酒・アイス・かけっこというガジェット。ノリも戸惑いも切実なセリフ回し。緩急とテンポの構成、背景エフェクト。これがドラマだよ、それを描くマンガなんだよ。わかるか、同誌面の作家陣。
ローカルワンダーランド 2巻 (HARTA COMIX)

ローカルワンダーランド 2巻 (ビームコミックス)

森薫乙嫁語り』/スミスも熱い男だな。ここで語られる探求の意志が光るのも、これまでの描写で淡々と記録者としてあった誠実さのもたらす効果。そしてまさかの再会、完全にスミスの物語のターン。(元)旦那のひょうひょうとしたキャラは情け深さとも映るが、人物像としては仇討ちに協力する前回のエピソードのドライさとも同根なのだよな。

佐野菜見『ミギとダリ』/えーと、あくまでこれ一人相撲(二人だけど)観賞回だよね?前回のブラフ真に受けるのが読者のレベルとした上での構成ってことはないよね?なんかラストで作者がどこまで自覚的なのか、不安になってきた。

大武政夫ヒナまつり』/とりあえず、サブも新田もアンズのこと馬鹿だと思ってるわけで…。アニメでは村川梨衣さんが声優なんですよね。

●高橋那津子『昴とスーさん』/こいつら性欲処理どうしてんの。(真顔)

樫木祐人ハクメイとミコチ』/献杯、もとい瓶一本。本来一人でやるべきそれを、にぎやかにしまらなくも誠実に。

●犬童千絵『碧いホルスの瞳』/利益に感謝する民は信用できないって、この女王は教条リベラルかなんかですか。そんでショタ皇子はマッチョイズムの次はあっさり女性に陥落という、はいはい。

九井諒子ダンジョン飯』/ライオスの洞察力と犬拳(トリケラトプス拳よろしく)が光る。結論としては全員ダメそうな側が本物というオチながら、そこに至るまでのロジックがキャラの行動原理=世界設定という形できちんと存在してるあたり、作者らしいSFセンス。その点で唯一オチとなるマルシルについては、物語進行に併せた情報面の伏線という二段構え(スカーフに1コマ塗り間違いあるが)。ミステリー的な作話としても巧い。これらがイメージの反映ということは、各人それなりに好感持ち合いつつも、ライオスのみ一様にイメージ悪いってことなんだが。だからこそ突破口を開く、という展開なんだけども。
/犬の闖入により正体を現す獣の化け物、残される葉っぱ、とこの辺は昔話フォーマットである(ただし横から爆破)。「あっちもこれ一本で食ってる」発言は畏敬の念ながらヤバいよ。黒魔術の件を聞いていたアセビがここで再登場か。

入江亜季『北北西に曇と往け』/着やせ。自然への畏敬に説得力持たせる画風である。しかし、話進まねえなあ。

●須川佳『終わる世界のネコとロボ』/読み切り。メタSF叙情コメディ、というか怪作だなこりゃ。吹き出しやオノマトペに至るまで描法の意識された、絵柄の自覚的な使い方とそれによる演出がいい。表現である。どういう物語性を獲得していくか、見ていたい才能。現誌面には絵柄が小綺麗で端正というだけの作家多過ぎるし(正直)。

近藤聡乃『A子さんの恋人』/書いている内に伸びに伸びたので、例によって下に別記事で。今回はそんなつもりなかったのだが…。

●井上きぬ『まだ見ぬ春の迎えかた』/つまり、擬似セックスも可能ということ(おい)。

●設楽清人『忍ぶな!チヨちゃん』/これはあれだな、今は心に抱えるのもエロスで他者のそれにより撹乱できるが、いずれアガペーや博愛に変化することによる成長展開が、たぶんない。右腕のハンデ(?)は引っ張るのかね。

●大槻一翔『欅姉妹の四季』/マンションと文化住宅の子供が野球して勝った方が祭で200キロの神輿かつげてそれが人ごみの中を割ってってそこで目立つ半年前に越してきた美人四姉妹が町会報の見出しに使われる、という展開で、作者が現実の“神輿”にも“祭礼”にも何の関心も敬意もなく描いているの透けて見えてイラつく。編集のアオリも「4姉妹、ついに夏祭りにてデビュー‼」じゃねえんだよ、イベント扱いかよ。神輿自体に寄った絵やそれを担ぐ主人公側からの視界がないのも、観客側からの画像しか資料として準備しないからでしょ。かといって想像で描ける画力もないわけでしょ。神輿の上からの視界における顔並べるしか能のない、空間と高度の把握もできないごまかし構図の雑っぷり、ひどいよ。

●サワミソノ『丁寧に恋して』/ああ、実家から物送ってもらうと丸薬入ったりしてましたな。永松がそこまでして持って来るのも、上辺はコミカルに演出されているが、母親の病状への思いあってこそだしねえ。見る人が見れば実質同衾というやつ。

●川田大智『彼女はお義父さん』/つまりラバースーツセックスは可能ということ(おい)。

●山本和音『星明かりグラフィクス』/人には関心ないが、人の関心は引こうとする。業だよな、まあ。

山本ルンルン『サーカスの娘オルガ』/サブタイトル「サーカスの娘」で、重い。のしかかる現実が切ない。それを闇や悪ではなく一つの境遇として、その中で生きてゆく人の形として描く物語世界だからこそ、それは宿命として見えて、重く切ない。現実を切り離して表舞台で炎を見せる、その生き方しか許されないのだろうか、この少女にも。

八十八良『不死の猟犬』/何このトンデモ設定&チープなシリアス風味。ゲーム内世界でしたー、みたいなオチの方がよほど理屈通りそう。いずれこういう、単なる通俗性を人間様の優位性としてマウンティングしたいが為のSFづらしたヒトモドキ設定、AIの遺電子的メソッド(しっ)は好きじゃないのだが、なんかなあ。この作品の場合、読者の需要レベルに合わせてあえてやってる面も大きいと思うのよ。普通に考えれば、なんで餓死のない世界で食い物売ってる上にメニューもこんな豪勢に発達するんですか?(笑)程度のツッコミは出てくるわけじゃん。その手の矛盾に作者も気づかない遺電子レベル(しっ)なわけじゃなくて、そこは割り切って描く、と見せる為の今回の会食デートや世界設定という気もするのよね。そういう所ふくめて、やっぱ嫌いだわ(素)。

●高江洲弥『ひつじがいっぴき』/今時はこういう不良とお嬢様の図も、少女マンガよりエロゲ・エロマンガ的メソッドに目されたりするんだろうか。夢の中では相変わらずヒロイン優位なのね。

中村哲也『キツネと熊の王冠』/男の方はマッチョ化だし、女の方は1話目から乱闘するわ乳出すわだったし、前シリーズに比べると身体性出してきてるのかなあ。実務パートにあたるわけだし。

●緒方波子『ラブ考』/料理教室体験、で描かれるのはセールストーク回避とデンマーク大使館潜入という。手間かけないなら高い食材使えば美味い、というのは真理。ちゃぶ台買ったのね、よかった。

●嵐田佐和子『青武高校あおぞら弓道部』/ポエミーながら、憧れを初体験するって確かにこういう感慨かも。それを目標にできる場所への一歩目に立つという。

●大窪晶与『ヴラド・ドラクラ』/ようやく売りになるゴア展開って感じですかね。味方裏切らせて手汚させるのはヤクザに近い気もするが。

●大上明久利『Killer Queen』/読み切り後編。そりゃそうなるよ!

●柴田康平『めんや』/最終回。

●後藤『マリヤたちの祈り』/読み切り。受け身型セカイ系ヤンデレ的な(?)。

●比嘉史果『真昼の百鬼夜行』/最終回。雑な難病ネタでシメって…。