ハルタ 2017-FEBRUARY volume 41(その2)

●マンガには、コマの外・枠を黒で塗りつぶす手法が、“過去・回想内”の場面を表現する技術としてある。また、作中で流れる時間とは別のエピソードを、丸角のコマで挿入する手法もあり、これも往々にして過去や回想内の場面を表現する。





●さて。本作にてA太郎は、前話からA子の手伝いとして漫画の「ベタ塗り」を“昔同様に”手伝っている。またA太郎とA子は元恋人同士として、接することで互いに“記憶・回想”としての心理描写を呼び起こされている。
●それらの多くは本作においても、黒ベタに囲まれた丸角コマ内で描かれるる。同時にそれらは二人にとって、ふり返り直視するにはつらさを伴う過去・心の傷=“闇(黒)”でもある。作中人物のおこなっている黒ベタ塗りという作業が、作中で描かれる事象の内実とも、その表現方法ともリンクしているのだ。
●また本作においては、それを描写するコマの置き方も独特である。“記憶・回想”コマの黒ベタ囲みはページの一部のみがそれにあたる場合、大抵の作品では、その黒塗りと通常の白枠との境目に描線やトーンによるグラデーション処理がなされる。話として、コマ(過去)とコマ(現在)を地続きに並べるわけである。
●しかし本作では今回、回想コマを囲む黒ベタは現状コマの枠(白)とはっきり分かたれている。それは縁取りされた絵、異層として見るものであり、同時に断絶を、あくまで一過性の瞬間的な挿入を意識させる。
●その上で、そこに描かれるのは現状と相似としてある過去で、物語としてはリフレインになる。同時に元恋人のA子とA太郎の関係は、内面的にはあの時から変わらない、引きずってしまっている、という継続。はなから関係の終わりを直視できない二人の姿があらためて、伏線の集積として描かれる。それを自覚する二人の描き方として、“ずれ”とそれが故の“重なり”(≠流れ)を意識させる「ベタ塗り」の効果が、今回見事なのだ。





●前号感想で触れたが、A太郎がA子を手伝い始める前回では“夜の雨”が背景にある。中に白線を含む黒ベタ(室内では白い空間に棒線)が、瞬間人物のコマを闇として侵食する。その後、A子が思い出すA君・今の彼氏の言葉は、丸角コマ(黒ベタに囲まれていない)の中に描かれ、エピソードとして存在する。絵も内実も白い。その分、現状が黒くのしかかり、黒地に白線という雨の表現が室内に現れ、前回は終わる。
●そこから続く今回。1ページ目・扉絵は白枠の中の黒ベタ、その中にコマ(過去)。めくって2ページ目は、ほぼページ全体黒ベタ枠(過去)の中、最後のコマ(現在)の周囲のみ白。(※以下、ページ数は本誌ノドのノンブル参照。偶数は右、奇数は左ページ。)
●3ページ目(現在)では、1コマ目の室内、背景でカケアミに棒線(雨)。2コマ目、背景の窓の外で黒ベタに白棒線。この描写は扉絵から3ページ目にかけての、過去から現在、黒から白へのグラデーションとも読める。ここでA子とA太郎の対面しての会話。
●4ページ目上段では、右端と左端のコマで二人の顔が逆向き・互いに外向きに配置され、浮かれるA子とのズレからA太郎の内面描写に入る。モノローグの続く中での、黒ベタ&カケアミに白棒線という背景の現在コマと、角丸コマ内で黒ベタ背景の過去コマの並びが、次ページからの過去シーンの導入にもなる。「振ってもくれない」はダブルミーニングか、なるほど。
●5ページ目は全体が角丸コマに黒ベタ枠の過去シーンで、これが次ページまで続く。ここではA太郎の回想の始まりにさらっと描かれる、駅でのA太郎とA子のシーンであるが、この回全体を通して読むと重要な場面となる。貼り付いたようなA太郎の笑顔と背景一面のカケアミ。
●そこからくり返される、A太郎の内面「……」。次の6ページ目中でA太郎のモノローグが始まるが、ここでコマ内のベタがカケアミに変わる。画面が白っぽくなる。浄化、と言うと妙だが、A太郎の中でのA子の位置づけはここで変わったように取れる。
●7ページ目に入ってもA太郎のモノローグは続くが、過去=黒ベタ枠は初めの2コマのみ。3コマ目、現在のA子の姿に、「A子ちゃん」という過去のA太郎の呼びかけが吹き出しとして重なる。フォントが絵として機能する、漫画という媒体のおもしろさよ。A太郎側からのこの呼称は、その時点が初めてだったわけである。
●このページでは以降、背景カケアミ、丸角コマの中の黒いA子の像、背景黒ベタ、と続くA太郎モノローグ。次の8ページ目からは現在の二人のやりとりが、フラッシュバック的に背景黒ベタの丸角コマ挿入されつつも続く。A子のモノローグ内の背景カケアミはA太郎より薄く、自己言及もより自覚的である。





●12ページ目、朝焼けの中A子もA太郎も白い(キャラのベタがカケアミに)。会話の中、14ページ目でA子が問いかけをはっきり意識する、同時に過去を垣間見るコマがある。そこではコマ内が黒ベタで塗りつぶされ、A太郎の像は過去の物で白く、A子の像はカケアミ混じりとしてある。位置どりもまたリフレインという状況。
●15ページ目、こちらも数話またいで続いているU子(の彼氏)のすれ違いコメディ。電話呼び出し音を表すオノマトペの「ピーピ……」の点のもたらす余韻と、吹き出し中の「……」のリンク。ページめくると「パタ……」(※倒れ込む)もあるが。このパートは純粋に情報伝達の、口に出す言葉に起因する(おもしろい)作劇なわけである。A太郎とA子の過去と向き合う内面の言葉とは異なり。
●A太郎とA子の会話。相手を理解している側の方が、より諦観に近いのだろうか。
●20ページ目。仕事も片付き、ここから風景描写が入るようになる。もとより風景の細かさとデフォルメきいたキャラクター造形が絵の魅力としてある作品だが、今回はずっと室内での対面状態(“過去”としてのモノローグすらその中にある)から、ようやく外の様子が入ることによる開放感も混じる。漫画家仕事のストレス状態が活写されてるしな!





●そして23ページ目から始まる最後の山場、序盤でA太郎のモノローグとして出た過去が、同じ状況としてくり返されるシーン。異なる駅なので当然背景が別物(阿佐ヶ谷と日暮里)なのだが、その風景の描写力あってこそ、只中で変われない人物達の姿が印象的な場面となっている。絵で言うと、前回雨降ってた中いつの間にか部屋に現れたA太郎が、今回帰る際にちゃんと傘を持っているわけで、こういう細かさがいい。
●リフレインとしての見せ方であるが、25ページ目、黒い枠の中の丸角コマで過去が現れる。A太郎の視界、ではなく、あくまでA太郎の背中側からの風景(日暮里駅看板も図示)。ページ全体の構成で言うと、左ページの全三段コマ構成の中、二段目左のコマ内の現在の状況に重なる映像として、三段目に並ぶ3コマの内2コマ目、黒枠丸角コマ内に過去の状況が描かれる。三段目右コマはA太郎の顔、左コマはふり返るA子の顔で、それにはさまれた(過去の)共通体験、共に思い出した状況として現れるわけである。
●めくって次の26ページ目。全三段コマ構成の内、黒枠丸角の上段横長コマは、A子の背中側からの風景として、過去の状況。前ページの“過去”の数秒後。中段横長コマは現在の状況、同じく前ページの現状の数秒後。流れ的にはページをまたいで、現状→A太郎→過去(A太郎側からの景色)→A子→過去(A子側からの景色)→現状、となる。この分節と読ませ方が、視点の変更と描写ふくめて上手い。
●さらに、縦に並んだこのページのラスト2コマ。A子・A太郎それぞれの様子の描かれたコマは、A子のモノローグではあるが、実質ナレーション(白字)の浮かぶ黒ベタ四角(なんて呼べばいいんですかね、これ)でつながれる。この四角は下方向にページ端まで伸びる。
●次の27ページ目は大ゴマ。現在と過去のA子とA太郎それぞれの姿が並び、コマの中心に黒ベタ四角・白字のナレーションが続く。白と黒、絵の描き分けで見せてきた過去と現在が、ここにおいてフォントとそれが浮かぶ枠の色として重なる。セリフの示す内容としても、「繰り返しだ。」と述べられるそれは、ここに至って共通理解の内語としてあるのだ。
●絵的には、現在と過去で異なる駅なので背景は白、しかし共通モチーフとして改札口ははっきり(二人を分かつ物として)描かれてるのがおもしろい。モブは駅によって量が異なるので、うっすらと描かれている。
●最終ページは惑うA子とA太郎の様子で幕。いやー、すごい回だった。本当、近藤聡乃の描くマンガ表現は、白黒2色で成るこの絵物語は、すばらしい。