ハルタ 2017-FEBRUARY volume 41(その1)

※先月号です。


  • このタイミングで表紙も裏表紙もケモナー向けなんだね、すごーい!
  • レコメン・ポップ・フェローズ応募用紙のアンケート欄が「心に残った小説」。コミックビームの方でラヴクラフトやヴェルヌのコミカライズが調子いいから、とかそういう目的だろうか。(前号のでは好きな漫画家尋ねてたし。)

●渡邉紗代『B/W』/新連載。
九井諒子ダンジョン飯』/センシの内面はなんだ、親か。帰還に入ったものの、このままダンジョン内にて以前と変わらぬ文法で話進むのかな、と思ってたら、食事で気分高揚、ムードも一新、論理的希望も見出だし、成長展開まで始まってこの回は幕。やっぱり飯で切り開く物語なんだ!/登場モンスターはドライアド(ドリアード)、キスが受粉の女性型。食べる実に顔ついてるのは、表情といい吉田戦車っぽい。乱獲とめるのは畑ゴーレム育てるセンシらしいし、折れたマルシルの杖(育成設定)とも対比、とこういう演出もらさず入れるのが世界構築の力量。ブラックマジックジョークとは。
●大上明久利『Pre-Spring』/読み切り。まだカット集という印象だが、作者的にはあえてそうしてるようにも見えるし、うーん。
樫木祐人ハクメイとミコチ』/徒弟制度世界だと思っていたが、美容学校、そういうのもあるのか(そも学校って概念が)。同期生という距離感。
入江亜季『北北西に曇と往け』/かわいい純朴な弟と思いきや、なのか?前回といい、本作は闇を描くことへの挑戦かね。
●設楽清人『忍ぶな!チヨちゃん』/新連載。くのいち高校生の片想い。一発ネタに見えるが、続くのか。
●戒島実里『今日のちょ〜か!』/連載化。
●緒方波子『モテ考』/執事喫茶。あー、うん、イメージプレイは慣れと協力だよ。
●宇島葉『世界八番目の不思議』/結局今回が最終回でなぜかそれは日常劇というしまらなさだが、悪いのは編集部側。路上に落ちてる手袋はダンプの給油栓カバーだって、昔E-Loginの投稿欄で言われてた。
八十八良『不死の猟犬』/はえてる。柱アオリは「相打つ」じゃなく「相まみえる」だろ。
●黒川裕美『ミカ、さいごの日』/読み切り。しゃっくり100回で死ぬって俗説、直接聞いた経験ないんだよな。呼吸を限界まで遅くくり返せば止まるよ。
近藤聡乃『A子さんの恋人』/今回は話の展開的にも技巧的にも大きな山場で、感想もやおら長文になったので、下の別記事に。
山本ルンルン『サーカスの娘オルガ』/憧憬。この少年と主人公では、外と内、そして上と下であることは理解も自覚もしていて、なお、だからこそ“夢”を描くしかないという。それでも最後に同じ動作を真似てみる、身体性として自らをだぶらせる無謀さ・子供らしさの切なさ。内面は通じてるんだよな。床の木目好き。
長崎ライチふうらい姉妹』/なんと、本編最終回。新しい職を得て。えらく濃いというか大仰な絵面から最後はポエミーに。次号エピローグ。
●福田星良『キンギョのおすし』/読み切り。オノマトペの工夫がちょっとおもしろい。
中村哲也『ネコと鴎の王冠』/麦芽工場見学。いかにも業界モノたる、行程を解説する内容であるが、ディティール出しつつ図示はさらっと、ほのぼのしたキャラ立てもこなす、とこの辺はやはり巧い。巨大機械というガジェットをコマにおさめつつ見映えさせつつ、絵的オノマトペ的に誤りなく。自転車、猫、食事、商談、ショタ萌え(しっ)という生身に話としては焦点あわせ尺費やし。
●冨明仁『ストラヴァガンツァ〜異彩の姫〜』/これで決着か。犠牲考えると結局悲劇であるな。
●長蔵ヒロコ『ルドルフ・ターキー』/市長が戦車でやって来る。
●二宮香乃『豆腐小僧一代記』/読み切り。同名妖怪が前提、のはずだがこのビジュアル化は異様過ぎるだろ。
西公平『ゲス、騎乗前』/何この羞恥プレイ。目的は果たしたけど、実るのはだいぶ先だなあ。
●原鮎美『織子とナッツン』/最終回。記念日と贈り物。次号スピンオフ掲載。
●犬童千絵『碧いホルスの瞳』/やっちまったか。あくまで他者の計画への便乗として完遂、子は成し、現国王の義母の地位も手に入れ、と首尾は上々だな。


  • 次号よりサワミソノ新連載。それ自体は楽しみなのだが、この予告カットは…。編集側から誌面にあわせてこういう絵柄にするよう指示した、とかなら嫌だなあ。

だってさあ。現状のハルタはもう“絵柄”ばかりで、話の展開についてはキャラか設定に還元するのみがせいぜいな作品、ゴロゴロしてるじゃないですか。画面構成力としては視線誘導どころか、緩急の見せ方すらろくに上達しない、文法としても作家性としてもそれが読み取れない。高田築も夏本満も空木哲生も梶谷志乃も高江洲弥も天乃タカも長野香子も丸山薫福島聡も、自分の絵が世界を生むことに、物語る側としてめいっぱい自覚的でしたよ。作品という被造物は虚偽は自身が触れなければゼロであり、だからそれを見せることの意義を価値を知っていた。俺はそういう作家性として読んでいたし、だからそれをおもしろがり愛してましたよ。それに金と時間を費やしたくて、俺はハルタを買ってたんです、が。