入江喜和『たそがれたかこ』3

試練の時、もといこんな人生の瞬間もある、あるいは新たな出発点となりそうな。バツイチ45歳女性・たかこの姿を描く、入江喜和『たそがれたかこ』第3巻です。

離れて暮らしていた娘・一花に起きた異変。
“食べられない病気”になってしまった。
(中略)
ひとり、夜に“谷在家光一”の封印を誓うたかこ。
私の幸せはいらない。一花を元気にしてください、神様――。

という裏表紙あらすじからの抜粋なのですが。
1〜2巻で若いミュージシャンの歌に出会い、輝きを見つけ、生活に生命活動にハリが出てきたたかこ。彼女は、娘の心の病気という事態に向き合うこととなります。
当ブログの1巻2巻の感想でも述べましたが、これは「好き」が、「夢」が日常を救う物語です。主人公一人の心を元気にして行動させる、その光景が同じく「好き」を持つ読者の心にあたたかく楽しく美しく映るのです。
その物語が今回、危機を迎える。かつての自分と同じ症状、心であり、離婚した夫の元にいる娘が抱えたそれ。人間関係、過去という、主人公にとってはかつて離れた、しかし大切なそれが、「今」の「夢」と向き合う。このファクターと展開はすごく上手いしおもしろいです、はい。



そのたかこの苦境を表す場面ですが。まず私が以前当ブログで引用した1巻のとあるコマ。
(1巻より)
母・主人公・娘が川の字で寝るコマ。1巻感想でこの構図と造形を称賛した私ですが、これと同じ状況が3巻ではこうなります。

バラバラの方を向き、娘の顔つきは明らかに変わり、三人一緒という構図では出てこないわけですね。

さらに泣くたかこ。1巻でも寝床で泣いていた彼女ですが、その時は自らの生活に何も見出だせないことが原因でした。つい、ふと、泣き出してしまっていた。それが今は、娘を案じて泣いている。
すごいのはこの描き文字(オノマトペ)ですよね、「ゴ〜 ガ〜」という、主人公の不安をよそに響く母のいびき。でもこれこそが、日常で生活の地平なんですよ。



そう悩みつつも、ふと日常に立ち現れるのが音楽という救いであって。
(1巻より)
(1巻より)
こちらは1巻にてたかこが、孤独な夜に歌声と出会った姿と、その歌を探して買って聞いて涙する姿。

そしてこちらが、落ち込んだ娘と主人公がたまたま入った喫茶店で、ラジオから流れるその歌声を耳にする場面。自分一人の夢で輝きだったそれが、共有される光景。いいですよ、この筆致は。グッときた。



他にも幼い少年との交遊や感情の吐露や、そしてラストの心象風景とかだな、いい場面たくさんです。危機にあってもいやさそれだからこそ、歌という夢と輝きがある、それの生み出すつながりと力の存在のいや増す展開となっております。一応、こんな紹介記事書きつつも一番見てほしい場面については言及してないのよ。
あなたの目と心で、読もう!たそがれたかこ!



あと、おまけ的に。

こちら「洒落乙クリニック」、つまりはシャレオツ〜!という看板なのですが。入江喜和読者的には氏のエッセイコミック『今日もウチで飲んでます』の掲載された雑誌、「洒楽」をつい連想してしまいます。
酒楽 別冊漫画ゴラク増刊2013年9月号
2号きりしか出てない「洒楽(落)」、乙!みたいな。「なんやかんやで四半世紀」中の入江喜和著作リストからも漏れてたし…と思ったら、すでにAmazonでも取り扱いされてないのか。
(当ブログの、プレゼントキャンペーン小冊子「なんやかんやで四半世紀」感想記事)
以上。