五輪の叫び、あるいは風のように永田のオリンピックの話をしよう

えー、本ブログの開設は昨年末なのですが不肖id:genbara-k、これ以前に2年8ヶ月の間、別名義によりネット上で雑文書き散らしていたことがございます。そこは関心空間内に設置されたコミュニティサイト、その名も「空間コミックビーム」!マンガ雑誌コミックビーム」付属のアンケートハガキにより入会希望→メンバー登録された人々が、日記書いたりメッセージやりとりしたり掲示板立てたりとそういう場。「カンビーム(「空間コミックビーム」略称)」メンバーという名のビーム読者・ファン達のまさしく「ふれあい」の場、でした。ハッ、過去形!?

そう、この空間コミックビームは昨年3月末に閉鎖されてしまったのですね、資金難により。(←ビーム編集長が公言。)でまあ、私も終了間際は妙な熱にかられまして、せっせせっせと意識相応に、オーバーフローな文面目指した書きなぐりに興じておりました。そんな状態の私が手前を規定すべく、語りとしてはラスト、という意識の下、「空間コミックビーム」終了前日の2009年3月30日にぶち上げてみた文章は次のようなものであります。



ーーーーー(引用始め)ーーーーー

「kill the past」
もう1年以上前になるか*1週刊ファミ通にて、連載投稿コーナー「魂の叫び」が終わった。元週刊ファミ通編集者・永田泰大氏の、6年にわたる連載が終わった。
 このコーナーは、ゲームに関するさまざまな“叫び”を紹介する投稿コーナーであった。たとえば『ドンキーコング』を生涯の名作とする男の「タルを一つこえるたびに思い出がよみがえる」というハッタリ。たとえば休日にしつこく食事に誘われイラついた女性の「だから『ドラクエ』やるって言ってんだろが!!」という怒号。「脳みそ!」という注文。「ホモのゲーム作って!」という願い。「手が覚えてた!」という衝撃。「いっしょにやるか?」という愛。
 この種の“リアル”をテクストとしてつなぎとめる・読ませるという行為において、永田泰大は名人である。彼がファミ通編集者だった頃、彼が書いた1ページにわたるゲームレビューを読むたび、私は毎回感動していた。ググれば出てくる『ゼルダの伝説 時のオカリナ』や『パワプロ』はもちろん、『街』も『007 ゴールデンアイ』も『牧場物語GB』も、読むたびに感動していたのだ。彼は「身の丈」を自覚していた。自分の価値観は普遍的なものではないけど、でも自分にはそれを語ることしかできない。だからそこにあらん限りの誠実さと熱をこめた。そんな彼だから、たとえば当初評判の悪かった『スマブラ』にしても、「やり始めてすぐは、おもしろさの核が見えづらいが、やり込むうちに技術に裏づけられたアナログ風なシステムが体感でき、それがもどかしくもアツい盛り上がりを生む」と表明できた*2。それは同時に、「発見」でもあった。
 自覚を持つ彼は、他人の価値観にも価値を見いだせた。彼が担当した「ゲームの話をしよう」という“雑談”コーナーは、一部から熱狂的な支持を受けた。宮本茂宮部みゆきから普通の小学生や中年夫婦まで、雑談というライブの中で創造され解体されるリアリズムどもが、べらぼうにおもしろかった。2000年に水戸現代美術館で開かれたゲーム展覧会、「ビット・ジェネレーション2000」で販売された冊子の掲載原稿でも、彼の記述は大上段に構えた気配はまったくなく、ひたすらにゲームを楽しんだ様子と感じた高揚感の描写にとどめられた*3。結果、冊子全体の中でもその原稿は異様な存在感を放ち、もっとも“物語性”に満ちたものとなっている。
 現在は「ほぼ日刊イトイ新聞」のスタッフとして、変わらずその手腕を発揮している彼である。そんな彼の、外注ライターとして担当するゲーム誌連載コーナー「魂の叫び」、最終回の叫びは永田氏自身のもので次のようなものだった。「『スマブラ』も『モンハン』も満足にやれてないやつが、あんな連載やってちゃダメでしょ。」だからこのコーナーは自然消滅的に終わる、と彼は続けた。今の僕にとってゲームは生活の片隅にあるものだけど、悪くないゲームライフだと思う。ゲームは僕の人生の中に大切なものとしてあり、ゲームなしで今の僕はありえないけど、なきゃないでどうにかなったものだと思う。そう彼は書いていた。
 彼は変わった。ファミ通編集者として書いていた原稿に、当時読者の私が見た誠実さと熱はゆるぎもしない。だからこそ、現実に彼のゲームライフは変わったし、手記としてその表明を行なった。そこで描かれたリアルに、そのかけがえなさにやっぱり私は感動したのだ。最後にこんな話をしてくれたことが、心底うれしかったのだ。ファミ通編集者・永田泰大のファンだった私は。

明日でカンビームは終わるけど、その場で俺はこの話を書いてみたかったのです。どもちゃい。

ーーーーー(引用終わり)ーーーーー



あらためて読むと実に勢い頼みな文章なのですが、その高揚の中宿る重力に価値を見てこその『ゲームの話をしよう』であり『魂の叫び』!とこれまた勢いで言ってみる。体重乗せてキメられる、それこそがソウルであり思想であり、リアルってもんでしょ。間違いなく人間ってもんが見えて、だからおもしれえんだ、それは。人々の様子と言葉の集積は。その意味でのおはなし・物語を肯定できない手合いって、データベースしか知らないからデータベース化しかできない連中なんでしょ、どうせ。



閑話休題



さて、今やゲームは生活の片隅にあるもの、なライター・永田泰大の生活の中心には、では今、いったい何があるのか?

そう、オリンピックです。なげー前置きでしたが、いよいよ本題です。

ほぼ日刊イトイ新聞」乗組員・永田泰大は今、オリンピックを積極的に楽しみまくってます。そして、同様にオリンピックを楽しむ人々たちの言葉をメールにて集め、それらを編集し、我々の前に読みものとして提示してくれているのです。あの男がやるそんな企画、おもしろくないわけがない。ということで、「ほぼ日」にて「観たぞ、バンクーバーオリンピック!」大好評開催中!てゆうか、昨日の第一弾公開時はまだ開会式も始まってねーよ!けどおもしろいんだよ!だって、最初に、いの一番に取りあげたメールがこれですよ?

「今年はソリ関係に注目したいです。」

これ、俺本当にすごいと思って。まず笑った。笑ったけど、でも、俺のオリンピックへの関心も言葉にして出したらこれぐらいかもしんない、という共感が次に出てきて。で、そのリアルにこそまず目をつけ、それこそをば、まず最初にすくいとる永田氏の手腕に感心して、でもこれってつまるところ、人間存在へのあったか目線ないとできない芸当じゃない?という着地点。先のメールへの、永田氏のコメントもこうなんですよ。


「のっけから、なんとも、にわかなコメント、ありがとうございます。
 盛り上がるといいですね、ソリ関係。」

そう、にわかでいいんですよ。というか、それを前面に押し出してみせたのがこの企画のおもしろさ。『魂の叫び』はもちろんのこと、『ゲームの話をしよう』でもたまに「普通の人」との雑談回があったんですが、それはそれで読んでてめちゃくちゃおもしろいんです。その人のリアルへの共感も、そこに見る意外性も、読み手としてすごく楽しめる。で、コレは断言しますが、それを可能にしてるのはやっぱり永田泰大というライターの才能なんです。語り手として、読み手として、感情持った人間をそこに据えている。そこを楽しみ、楽しませることを喜べるヤツなのです。



そういう意味ではワタクシ的に、「ほぼ日」乗組員とはいえ、あまり糸井重里に毒されてほしくないよなー、とも。(微妙なニュアンスですが。)そのくせ、とりあえずこれからの2週間は、永田泰大が「ほぼ日」メンバーだからこそできるめちゃくちゃおもしろいこと、を存分に楽しませていただくわけですが。

そういうわけで、桜玉吉風に、読もうバンクーバーナンシー関本の帯文風に言うなら、「オリンピック、見てなくてもおもしろい!」それぐらい“読みもの”として一つ屹立してますから。そして、読んだらオリンピック見てみたくなりますから。



「そうさ、その秘密は極めて人力!」(「観たぞ、バンクーバーオリンピック!」冒頭文より)

ゲームの話をしよう〈第3集〉 (ファミ通Books)

ゲームの話をしよう〈第3集〉 (ファミ通Books)

魂の叫び

魂の叫び

*1:後で確認したところ、これは完全な記憶違いで、実際に終了したのはこの日記より8ヶ月前でした。

*2:『ゲームの話をしよう』第1集ゲームの話をしよう (ファミ通Books)より引用。永田氏本人による要約文であり、発表時の原文どおりかは不明。永田氏はこの記事を書いたことにより、『スマブラ』製作者である桜井政博氏と岩田聡氏から、対談を申し込まれています。

*3:「ダンスは続くよ」と題されたこの記事で描写されているのは永田氏自身だけではなく、友人や(面識のない)知人の知人、の“様子”もふくまれます。