ハルタ 2019-AUGUST volume 67

※2019年8月10日発売。

丸山薫『図書室のキハラさん』/帯裏連載をタテ方向のコマ割りで、海底へ向かう。帯の折り目もページのめくりに代わる演出として機能。

●空木哲生『山を渡る─三多摩大岳部録─』/前回の原点にして安堵とは一転、年長者のハードな挑戦描写。ボルトという人の手であり道具の不具合を、やり甲斐・スリル・経験値と呼ぶことで見せる“ハマってる”感。後半ではそれが、先人からの継承という物語をまとう。先輩にも先達の存在があり。/ハルタ連載陣には風景や小物の描写を売りにする(と思われる)画風の作家が複数いるわけだが、私としてはこの作品のように、それらを演出なり物語として使ってもらってなんぼなわけですよ…。

●鶴淵けんじ『峠鬼』/移籍新連載。アニミズムでファンタジーという設定なのだが、箘の描写や極小世界における時間のずれ等、SFとしての要素も入ってる?

入江亜季『北北西に曇と往け』/8ページでほぼワンシーンというだけの回であるが、少女の立ち姿と反応の読ませ方、主人公とのずれとしてはさまれるコマ構成が、一つ芸風なのだよな。

長崎ライチ紙一重りんちゃん』/この手のおバカな家族像というのもある意味なつかしいかもしれん。今時はたいがい萌え空間に走っちゃうし。

●高橋那津子『昴とスーさん』/はあ。で、ようやく話を動かしてくれるんですかね。

●渋谷圭一郎『瑠璃の宝石』/新連載。

西公平『九国のジュウシ』/ぽぽぽぽーん、じゃねえって。榎本俊二の『斬り介とジョニー四百九十九人斬り』連想しないでもないが、あそこまでスラップスティックに舵切るには冷めてるしドライなんだよな、この作者(批判ではない)。どういう展開になるやら。

●浜田咲良『金曜日はアトリエで』/タイトル変更、連載化。危惧していたとおり、読み切り時の“変”な魅力と面白さは消し去られ、毒にも薬にもならないラブコメとして押していく模様。こういう点で信用できない編集部なわけよ、とほほ。

九井諒子ダンジョン飯』/マルシルとの出会いの回想、もとい走馬灯。死にかけで(初対面の相手が)死にかけたことを思い出して、ここで役立ったのは説得術なわけだろうか。あっさり死ぬ、という世界観の通底。/スライムに窒息させられる、という戦闘描写はロトの紋章初期にもあったなあ。ダンジョン内での魔術の強化→「戦争に使われるわけだ」とさらっと設定上大事そうなセリフも。

●嵐田佐和子『青武高校あおぞら弓道部』/思い込みによる上達も、まあ実力の内か。

福島聡『バララッシュ』/92年の時点でゲームのOPアニメといったらPCエンジンの方だろうか。苦境を耳にして、あえて倒れ込む山口のメガネがずれて瞳が見える、このある種恍惚とした表情な。おそらくは業界の中にいる己自身であることの噛み締めな。

→先輩のことをネタに使った、ということは、かつて山口が言われた“虚構の申し子”とは逆に、個人的でオリジナルな体験を作品に使えるようになったと。一瞬の再会。宇部の方も後輩にメシおごれる、コミュニケーションとれるという成長はしているわけである。別れを告げる時の瞳は片や黒ベタ気味、片や閉じられる。

近藤聡乃『A子さんの恋人』/翻訳と創作を通して原点を振り返り、そこからの“軌道”を模索する。天井扇からの3コマのつなぎとめくった次ページ、本当構成上手いよなー。

●中西芙海『巨人暮らしのススメ』/挙動で読ませる巨人の感情。幕間的な回だが、構成で内容を上手く映えさせている。こういう作風の方があっていると思うんだが。

●原鮎美『はなやっこ』/何、ヤンキー成分上昇させてくの。

●犬童千絵『碧いホルスの瞳』/それだけの情報を現地で収集してるのは誰だよって話なんだけどさ、まあ。

●山田果苗『東京城址女子高生』/え、今さらそっちの文脈ふみ込むの、と思ったら何の葛藤もなくさらっと流しててアッハイって感じ。

八十八良『不死の稜線』/第2部最終回。なんだかんだ言ってもカップルでき上がってる時点で、その踏み台ふくめて運命だった、という世界観だからな…。

●大上明久利『極東事変』/焼け跡で廃車住まいは定番か。上の言う理屈はムチャクチャだが。身を潜めさせるならお前らで管理せえよ。

森薫乙嫁語り』/手紙が海を渡る。情報が移動手段に規定されたブツであったことを思えば、スミスの関心の深さにも内圧が見えるよな。ぶっちゃけバードの方はそこら辺が概念として抜けてるから、物見遊山になっちゃうわけで。

●浅井海奈『バンちゃん珍放浪記』/読み切り。ストーリーギャグか、一応。作風がどんどん怪作じみてる気もするが、こういう毒も誌面に混じってた方がいいよ、うん。

●設楽清人『忍ぶな!チヨちゃん』/圧倒的冷徹さをもって決着。しかし失ったものは。フィナーレも近いか。

樫木祐人ハクメイとミコチ』/少年キャラがなんだか新鮮。そもそもこの作品では子供としての存在が出てくること自体、珍しいような。夫婦や兄弟の関係は出てきても“家族”の像は薄いというか、基本的に登場人物みんなボヘミアンだからな。センという研究者・求道者ポジションのキャラが、子供の相手としてファンタジックに見られるというのも道理か。



※半年前か…。