週刊少年チャンピオン2018年31号

  • 表紙がドカベン、表2がドカベン単行本広告、表3がバキアニメ広告、裏表紙がシャドウバース広告。



水島新司ドカベン ドリームトーナメント編』/シリーズ最終章、最終回。途中で優勝チームはメジャーと戦う、と言い出した時は、民話とグローバルが出会っちゃいけない!と危惧したもんだが、ショーマストゴーオンにするでもなく、山田と岩鬼の二人で始まりの出会いを回想して終幕。そもそもこの最終章自体、“現実”としての球界と袂を分かつ形で始まったものであった。また、かつての『大甲子園』が、おはなしに“リアル”が希求された時代性前提での「クロスオーバー」の凄味だったとするなら、この最終章のオールスター戦はすでに自覚的に異なる脈絡としてあった。作者にとってはそれこそ、学園マンガ的な楽園にも近かったと思うのよ。そして最後は、自らが嚆矢としてあったスポーツ漫画以前、まだバトル漫画の地平であった原風景で幕、と。描き手としてはこれも、自然な選択であったのだろう。
/さて、私が最近のドカベンで反応していたのは、ほぼオノマトペについてばかりなのだが。今回も、観客席の「シィ~~ン」から筆字「ドォ」「ドワァア」(枠線が透けて見える)への転調、「うおおお」を出さなくなる球道あたり見所。なにより、岩鬼の助言後に山田の打球音が変わる、岩鬼化する点はプリミティブながら、だからこそ作者の直接的な念の表象であり、この作品のクライマックスである。山田が打った見開きの後の8ページで、選手観客生放送問わず30回「ワー」ですから。その後一転、山田と岩鬼二人の会話は静寂の球場にてですから。
 
/アンケート項目、水島新司の自伝マンガはぜひ読んでみたいですね。貸本時代メインで、マンガ史における一つの証言として。お疲れ様でした。

渡辺航弱虫ペダル』/鳴子の名前がサブタイトルになるの、何度目だっけ。

佐藤タカヒロ『鮫島、最後の十五日』/喜びですら邪念、ともはや悟りに近い。意識を切り離す、のイメージが損壊というのがまた。

増田英二『週刊少年ハチ』/お風呂回、だが男だ(主に)。さすがに風呂では着ぐるみ脱ぐか。わりとちゃんとした先生だった、のはいいとして、どこに着地するんだこのヒキ。

浜岡賢次『あっぱれ!浦安鉄筋家族』/衣笠ネタ。ドカベン最終回へのはなむけだな。この作品自体の継続ぶりもすごいんだけども。

板垣巴留BEASTARS』/扮装。力技による息抜き回感も。笑わせれば勝ち(へうげものイズム)。

●盆ノ木至『吸血鬼すぐ死ぬ』/人間は猿じゃない、人間は猿じゃない…。

●ニャロメロン『ベルリンは鐘 ヤッホー!』/人間は鳥じゃない、人間は鳥じゃない…。

●中村勇志『六道の悪女たち』/勝負服!!

佐藤健太郎魔法少女サイト』/即死判定とライフゲージがゼロになるのはまた別みたいなこと?いずれジリ貧なのかよ。

●灰谷音屋『ジュニオール』/条件設定バトルは作者の腕の見せ所だが、さて。

西修『魔入りました!入間くん』/作者は絵本を読んだことがないのか?というレベルだが、そもそも概念や世界法則が見当たらない作品だからな…。

平川哲弘『ヒマワリ』/前回、“田舎の家”としての外観をほめといてなんだが、その内装がフローリングとシステムキッチンというのはちょっと違和感。そういう家って言われりゃそれまでだが。曲調によって舞う音符の使い分けとかしないのか。

桜井のりお『ロロッロ!』/性別不明に対する無意識下でのエロショットパターン、とこれはこれで歪んでいる。

荒達哉『ハリガネサービス』/笑うなって言われても、これは笑うよ。(すまん)

●寺谷彩『彼女のためなら死ねる』/読み切り。なんでこの年齢設定に、と思ったが若すぎてもこのオチはつらいか。仕掛け自体でなく、人物の意地の悪さに重点おかれるのがいい。

森田将文『出陣★昆虫武将チョウソカベ!』/別離。まあ実際、人の手を借りた方が強いだろうというのはあるんだが。

●重本ハジメ『逆襲インフェルノ』/救われねえのはこの姫樣じゃねぇっ…!今立たなきゃ…俺達が救われねえんだっ…!

石黒正数木曜日のフルット』/ノラと家猫の思いやり、すれ違い。