今朝がたTLに流れてきた話題の覚え書きとして。
学ラン羽織ったような(定型的な)「不良」「グレ」系のキャラに附随するものだった印象があるんだが、戦後の日本映画、学園ものなんかに、草笛その他を口にして鳴らしてみせるような、そんな「純真なココロ」の表象的なものをまつわらせた主人公なり登場人物っておらんかったっけか。
— king-biscuit (@kingbiscuitSIU) 2018年5月16日
徳間文庫『銭牝』の水島新司による解説には「“番頭はんと丁稚どん”の小番頭雁之助はハッパを加えた<ママ>男岩鬼です」と。日の丸文庫勤務時代に『番頭はん…』の漫画化を依頼された縁で水島は花登筺のことを「わが師」と呼んでいました。「ハッパを加えた」は誤記ではなく「書き加えた」の意か。
— ひびのけい (@hbnk) 2018年5月16日
ありがとうございます。花登筺あたり臭いかな、とは思ってましたがやはり……でしたか。水島新司の「おはなし」力ってのは当時のマンガ家として群を抜いて「大衆文芸」的(言い方はともかく)なのでそのへんも含めて多謝です。
— king-biscuit (@kingbiscuitSIU) 2018年5月16日
換言すると、ハッパは水島なりの股旅物のパロディで、高校生だから煙管や煙草じゃない、ってのもありますが、水島が古くさい「大衆文藝」に愛着を感じつつ距離を置いていったことをよく表してる。さらに花ではなくハッパだったのは、当時の「乙女チック」な少女マンガへの目配せもあったのかも。
— ひびのけい (@hbnk) 2018年5月17日
この解説にはそれ以上言及はありませんが、水島が他の花登作品の登場人物から葉っぱだけ借りた可能性もあるかなと。花登の小説を全部読めば(!)わかるかもしれません。花登に直接のモデルがあるにせよないにせよもとは股旅物の系譜にあったのかと。『熱海殺人事件』「くわえ煙草伝兵衛」もその一端。
— ひびのけい (@hbnk) 2018年5月16日
花魁の差し出す吸い付けたばこを何本もくわえる助六以降、くわえ煙管/煙草は「無精者」の表象で、世の中の定型からはみ出す作法の一つとして大衆文藝の想像力で生き続けた。一方、煙管で吸うまでの煩瑣な手続きは儀礼のように描かれ演じられ、その人物の几帳面さや落ち着きを示すようになった。
— ひびのけい (@hbnk) 2018年5月17日
読み切り版『野球狂の詩』のチャンピオン掲載時、学生時代の水原が男子と対決する内容にこんな感想書いてた身としてはしっくりくる文脈だのう、と。
●水島新司『野球狂の詩』/読み切り。センターカラー扉で水原のブレザー姿は、サービスなの?設定としての後付け前日譚はさらっと流す、正しい。この学ラン応援団長的イコンの残り香が岩鬼なんだよね。女を前に「友達」と口にするこの“男子”ぶり、嗚呼……(その意味じゃじつわたは一周まわってるんだが)。
http://genbara-k.hatenablog.jp/entry/20151022/1445517381
あと、以前回ってきたこのツイート。
この世の悩みの八割くらいは、ドカベン第一話のおおらかさを読めば、なんとかなる。 pic.twitter.com/pL1f5wPHzv
— 模範的工作員同志/赤野工作 (@KgPravda) 2015年10月29日
この画像から受ける印象をどう表現するべきか。牧歌的あるいは馬鹿男子の空間、または当ブログでもドカベンへの感想としてしばしば用いるおはなし・民話の地平。それらの比喩ではどうもしっくりこないなしかし、という違和感が上掲ツイート見てぱっと思い出されて自覚され、答えが浮かんだ。この場面は「乙女チック」の導入なのではないか。その文法でありフォーマットでありによる表現効果だ、と私は思いました。数多ある少女マンガから少年マンガへの影響の、これもまたその一つなのではないか、と。以上。