いしかわじゅんの福本伸行評(2000年2月刊行の本より)

マンガ夜話 (Vol.7) (キネ旬ムック)マンガ夜話 (Vol.7) (キネ旬ムック)
キネ旬ムック「マンガ夜話vol. 7」247ページ掲載、『賭博黙示録カイジ』に関するいしかわじゅんのコラムより一部引用。



 福本を最初に見たのがいつだったのか、まるで覚えていない。
 つまり、その程度の存在だったのだ。
 読んだ時に、特に強烈な印象を持ったというわけではない。すぐメモしておこうと思ったわけではないということだ。
 しかし、存在は、記憶にある。かなり初期から、福本伸行という漫画家がいて、泥臭い漫画を描いていることは知っていた。そのくらいには、どこかに引っかかる存在感があったということだ。

(※中略)

 福本の漫画を読んだ印象は、〈必死〉だった。死に物狂いで、彼は作品に取り組んでいたに違いない。誰が見ても不器用な作風は、きっと、夜も寝ないで推敲したあげくのことだったと思う。洗練にはほど遠かったが、自分の存在できる場所を求め、果てなく広く見えていただろう漫画界という大海原で溺れないように、きっと福本は、必死であがいていたに違いない。
 少なくとも、あの作品にかける必死さだけでも、ほかの退屈な漫画よりはずっといいんじゃないかと、ぼくは思っていたのだ。自分がやっていることが、表現というものだということも忘れてしまった、あるいは気づいていない、日常に安穏としている多くの器用なだけの無能な漫画家たちよりは、ずっと面白いんじゃないかと思っていたのだ。



ここでいしかわの言う“価値”が、現在の福本伸行作品にも認められるかといえば、なかなかつらいものがあるのは否めない。
しかし、だからこそこの文章は、ある瞬間確かに存在した作家性を、その生身を、熱を、実存を的確にすくい取った批評であると、私には思えるのだ。
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