『プリパラ』106話感想(後半)

●外へ逃げ出したものの、追っ手のプリパリパンダに囲まれるそらみドレシ。陰から心配そうに様子を見つめるガァルマゲドン。ここの三人の表情は、短いカットながら全体の構成の中で意義深い。主人公勢という“友達”を案じるサブレギュラー陣、その心情。

●一方、めが兄ぃ同士のバトルは、落ちぶれ時代を映した当地パラ宿側の自滅、おい。一同を追うプリパリめが兄ぃ。「いけない…今の私には、守るべきアイドル達が…。」追って駆け出すめが兄ぃ。彼のキャラ立ても、軸の一つに感じられる今回。土屋脚本だと、デレマス11話でプロデューサーの走るカット挿入されるのが好き。アニマス7話も走り回ってたけど。

●「まぁま!」と笑いかけるジュルルを抱きしめるらぁら。ジュルルは渡さない、と笑顔でうなずきあう他五名。飛びかかるプリパリパンダ達、とそこへ「あきらめたらサバトは終了である!」の声。ピンチにギャグである。バケツでカエルをばらまくあろま&ネコ、ハンググライダーから餌の笹をまくみかん&ガァルル、と過去回のネタ再登場。救いの手である。意外な懐かしネタによる緊迫の打破というね、突飛さと安堵。「ありがとかしこま!」と礼を言い、再び逃亡するそらみドレシ。
●プリパリパンダ達に、タンカを切るあろま。「我がパラ宿は悪魔がほえ、怪獣が暴れ、天使が舞い降り、そして赤子に優しい呪われた場所である!」ガァルマゲドンとジュルルの自称である。そしてこれが、なんてこった、アイドルアニメの舞台を指した言葉なのである。プリパラという作品世界の異形ぶりであり、馬鹿話で寓話たる地平の宣言だ。なんてカッコいいんだ。土屋脚本111話で描かれたひびきの軟化もまた、この脈絡に含まれる。

●しかし話の展開上では、あっさりプリパリめが兄ぃ&パンダ達に捕縛されるガァルマゲドン&ネコ(効果音:チーン)。プリパラ憲章違反として、チーム解散&今後ライブできないことを言い渡すプリパリめが兄ぃ。いきなりのヘビー展開、「アイドル終了ぷり」の再来である。
●ここで不満を口にするも、重ねて「プリパラ憲章に敬意を払わないのですかモーレ?」と言われると黙り込んでしまうガァルマゲドンがね、大人の決めた規則に従うしかない子供、という図でつらくて。それでも、という話なのである、今回。

●この、救われない現実にて“心”はどうあるか、という状況、テーマは土屋脚本において、例えば『かみさまみならい ヒミツのここたま』の「こころのヒミツ」や、『団地ともお』の「幼なじみは元気かいともお」「よその子になっちゃいなさいともお」「父さんを召還するんだともお」でのアニメオリジナル描写、といった形でも現れるもので。何よりプリパラ第1シーズンでの、ひめかとシュガーのエピソードがそうであった。そこで敗れても、というのはある意味、子供だからこその希望なのかもしれないが。(オルフェンズでは2期にも脚本参加するのだろうか?)
●そこへめが兄ぃ参上、水をまいてパンダを引きつける。隙をついて逃げ出すガァルマゲ一同。パンダ達に押さえ込まれながら、走り去る三人の後ろ姿を見つめてほほ笑むめが兄ぃ。「それでこそアイドル…あなた達の輝きが、奇跡そのものです!」

●これ、普通に考えると変な脈絡のセリフなわけである。今しがたガァルマゲドンの取った行動、プリパラシステムへ反抗する友達を手助けしたことに対して、それが“アイドル”であり、“輝き”であり、“奇跡”である、とパラ宿めが兄ぃは言っている。歌でも服装でもステージでもなく、レジスタンスをば。どうなんだそれ。
●でも、こと「プリパラ」という作品世界においては、そうなのだ。土屋脚本回、第1シーズン25話で、かつてアイドルだったひめかは“友達”であるシュガーに言った。「私たちがプリパラで過ごした、あのキラキラした日々は嘘じゃない」。嘘じゃない、真である、と体験した者が呼べる輝き。主人公・らぁらの言う「み〜んな友達!み〜んなアイドル!」を旨とするおはなしにおいては、その結実の姿としてあるのが“アイドル”なのだ。
●で。ここからガァルマゲドン三人の描写が続くのだが、彼女達はすでに、プリパリめが兄ぃから言われた「解散」に対して腹をくくっている。前回が、三人でチームを組めてよかった!というカタルシスの話だったのに。それは前向きとかそういうことではなく、もう得ているのだ、彼女達は。前半でグランプリやりたい、と言っていたのに、それも必要ないほど。その瞬間が、体感が「アイドル」なのだ、ここでは。
●地下プリパラ入り口のガァルマゲドン。「魂で結ばれた仲間である!」「解散してもずっとチームなの!」「チームガァル!」逃走するそらみドレシの様子の挿入。「ジュルル、絶対逃げるガァル!」「天使の祈りなの!」「引き換えに、我らの解散をささげる!」自分達は友達、彼女達も友達。

●この解散前の、最後のトモチケスキャンで、プリパラの遊び方の基本的な説明セリフ言うのもグッとくる。そこから始まったキャラクターと関係であり、世界なんだよな。
●そして最後のコーデチェンジ、ライブ衣装への変身でのセリフ。「プリパラの門をくぐる者、ガァルマゲドンがいた事を思い出してガァル!」「みかん達も、みんなの事忘れないジェル!」「聞け!我らの解散ライブ!」
●ここでね、軽々しく相手への言葉として、忘れないで、覚えていて、とは言わせない脚本なのがすごく好きで。ふとある時に“思い出して”くれたら、その瞬間が“みんな”の心に立ち上ったら、それでいいんですよ。でもアイドルである自分達の側は「忘れない」。これが、彼女達は“アイドル”に到達できた、という話なんだ。そして土屋脚本『アイドルマスター』第十八話「たくさんの、いっぱい」においては、かつてアイドルだった秋月律子が瞬間、もう一度「夢」として見ることができた、観客席の輝きなのだ。

●地下プリパラのステージに立つガァルマゲドン、空の観客席。あろま・みかん・ガァルル、三人の名乗りを、一人涙目で見つめるマネージャーのネコ。

●ガァルマゲドン、ラストライブ。あれでしょ、こういうのをどちゃくそかわいいって言うんでしょ。ひたすら、楽しさ、のライブである。途中挿入される、走るらぁらに抱えられたジュルルの姿。
●ライブ終了。満足げな笑顔で、空の観客席を見つめる三人。冒頭の悲しげな表情との対比。

●そしてここで。三人の姿が、プリパラの遠景が、モブの群像が、らぁらの、二人のめが兄ぃの姿が歪む。女神ジュリィが出現し、ガァルマゲドンの神アイドルステージ発動!神スカートはガァルマゲドンが入手。
●「ありがとう」とガァルマゲドンにささやく女神ジュリィ。ぽかんとするガァルマゲドン、ジュエルパクト内に戻ってお休みジュルル。女神の報恩、という決着である。定型は強い。しかしそれよりも、あるべき美しい姿の運命として、刈屋富士雄の実況「トリノ(オリンピック)の女神は荒川(静香)にキスしました」を連想するなど。

●大盛り上がりの観客席。ガァルマゲドンにはすでに解散命令を、と否定しようとするプリパリめが兄ぃであるが、割って入っためが兄ぃは、女神ジュリィが神アイドルグランプリのシステムそのもの、と宣言。「神スカートが解放されました!すばらしい輝きを持ったアイドルの力で!」顔を見合わせ、笑顔になるあろま・みかん・ガァルル。「ガァルマゲドンを、正式な優勝チームに認定します。よって、解散は私が許しません!」観客の大歓声。抱き合って笑顔のガァルマゲドン。ここも冒頭のリフレインにあたる。

●観客席に手を振るガァルマゲドン。この行為が冒頭ではできなかったんだよな、プリパラ世界においては友情にもあたるそれが。三人の姿を見つめ、笑顔を浮かべるプリパリめが兄ぃ。「なるほど。パラ宿のシステムに障害はないようですね。」異形でも、アイドルであり友達であるという核はぶれない。いやさ、だからこそ輝く、メタ的に読めば。

●現状維持を求めるめが兄ぃ、ジュリィはシステムだから、と承諾するプリパリめが兄ぃ。「それに、お忘れビアン?私も、アイドルを守る為に存在しているということを。」ガァルマゲドンを見つめる二人のめが兄ぃの後ろ姿、となんだかアイマスのプロデューサー然とした光景でもある。「パラ宿アイドル、トレビアーン!」

●ここでまた、観客席で騒ぎ出すジュルル。とっさに「プリパリめが兄ぃの子です!」とごまかすらぁら、「ウィ、ウィィ…」と顔にタテ線浮かべつつ乗ってあげるプリパリめが兄ぃ。アイドルを守った!ほおずりプリパリめが兄ぃ、嫌がるジュルル。
●と、そんなオチには目もくれず。盛り上がる観客席に、笑顔で手を振り続けるガァルマゲドン。もう一度得た、アイドルの輝きの光景。