アイドルマスター10th LIVE 2日目雑感

  • アイマスの知識:ほぼアニメのみ。
  • デレマスの知識:ほぼアニメのみ。
  • ミリマスの知識:ゲームプレイしてCDも聞いている。

…といったスペックの私が先日19日日曜、アイドルマスターの10周年ライブ2日目をライブビューイングで見てきました。
これまでに見たことのあるアイマスライブはミリオンライブ!のみ。若輩であり無知の身。知らない曲でも聞いている内に良く思えて、とまではなかなかならない、すんなりいかない、現実には。やはり照射する物語としての体験が必要なんだな、十全に楽しむには。彼女たちの歌であることを聞くには。
とはいえもちろん、知っている曲と演者さんにはテンションぐわーっ、となるわけで。いや、私はサイリウムも準備せず椅子から立ち上がることもなく、選んだライブビューイング最後列で破顔しつつ首揺らしていただけだけど、心中はビリビリきてましたのよ。カッコいい、可愛い、貫禄である。強いぜ、まぶしいぜ、聞き惚れるぜ。
で、当然それらは共に並ぶ“知らない”ものへの視線にも影響するわけで。場の力が、つながりと流れの存在が見えてくる。外野たる身の私もとりこぼされることなく、この眼前のライブイベントへの、アイドルという生身への信頼が湧いてくる。そして私にも、瞬間“入り口”が見える。



中盤のメドレーパートで流れ出した「Twilight Sky」。私はこの曲を知らない。しかしスクリーンに表示される二人のアイドルの名前は知っている。青木瑠璃子、デレマスの多田李衣菜の中の人だ、なんちゃってロックなアイドルだ。そしてもう一人は、愛美だ。ミリオンライブ楽曲中でも鮮烈な印象を放つ「流星群」「プラリネ」という名曲を歌うロックアイドルだ。
この二人が並んで歌う、その光景?空間?瞬間?いや、やっぱり歌だな。で、歌声そのものではない所に私はすごいカルチャーショックというかパラダイムシフトというかを脳にパキッとひび入るような衝撃で受けて。つまりその、曲自体は知らないんです恥ずかしながら。しかしデレマスとミリマスの方向性は違えど、“ロック”という物言いのもとに一つアイドルという夢の姿をくくれる、その二人が共闘している、間奏で笑顔で並んで歩いてカッと腕をぶつけ合ってエアギターを披露しているのを私は見た、二人が笑顔でいる歌の様を。その“物語”への声優二人の生身の投じ方が、ジュリアと李衣菜二人の間違いなく喜びである感情が、祝祭の場での特別な一瞬であることが、かろうじて“知っている”私にはゾクッときたわけです、グッときたわけです。
ジュリアの左目の下にあった青い星、あれは彼女はこれまでのライブではソロステージでのみ描いてきたんですよ。そこでロックを弾けさせてきた彼女が、今回は李衣菜とのユニットでその勇姿を決めた、その立ち振る舞いはやっぱり嬉しさなんだ、見ている俺には。曲は知らないのに、アイドルが二人であることに物語が見えてたまらない。二人各々が作品という文脈を措いて、現実のステージ上に生身で並べられたことに感動したんである。それは青木瑠璃子と愛美による、李衣菜とジュリアの新たな、ここにしかない物語だったから。ロック風に言うとクラッシュアンドビルド。(そうか?)



この、共にあること、の力が、それを可能にしたアイマスというコンテンツを見たことが、その後のステージへの私の目線も変えまして、それまでの見方も自省させまして。今回のライブにおける、その輝きの一つの頂点であろう「my song」にはうるっと来ましたもの、私でも。入ったのはアニマスからでも、やっぱり765プロを好きな私としては。
最初のアイドルマスターから一緒、として並んだ6人の姿。そこにあるのは重みだ。歩んできた時間の長さが、彼女たちが共に立つこのステージに生まれている。その涙する姿が私に見せてくる。発する言葉が私に伝えてくる。好きであれば、引き寄せ巻き込んでくれる。それがアイドルマスターの力なのだ。



そしてフィナーレに向けての、後輩ふくめて大勢のアイドル達の姿。このライブを見てきて、10年目のこれを見せられて、もうわかるのよね、この光景を可能たらしめていることのすごさが。その名のもとに、人が集いその力を見せてくれることのすばらしさが。よかったです、それを見ることができて。



あとミリマス告知映像の諸々には完全に、いわゆるあわ食った状態になってました。アニメになってる!37人参加ライブツアー!ぎゃああ!楽しみだわ。
と同時に、先達の歩みの輝きと重みと共に、その一員としてこれらを認識できてよかったなあ、と綺麗事でなく思いました。思わされますともさ、あのライブを見たら。
ありがとうございました。