昨日の「ハピネスチャージプリキュア!」について、悪役三幹部が内情も語られずにやられて消えてしまった、という点で不満が出るのもまあわかるんですけど、それはやっぱり大人目線の話で。
スマイルプリキュア!」についてシリーズディレクター大塚隆史の語った、悪役を掘り下げるのは容易だけどプリキュアが主役なのをゆるがせたくなかった(から描かなかった)、という主旨の発言見て、その“子供の為に”作るんだ、という姿勢にグッときた私としては、その“欠落”はあっていいものだと思うのです。
で、大塚氏が同時に語ってた、スマプリにはあった、プリキュア側が敵はいやな経験をしてきたんだと気づく描写は入れられてたのかな、という部分は正直気にはなった、初見時。その優しさあってこそ欠落込みで“おはなし”になりえるんだから。
でも見返してみると、これまでプリキュア達の成長と力になってきた友情、人とのつながりを、孤立したままでいるんだ!と強がる敵に突きつける構造にはなってるんですね。で、それはこの最終決戦が初めてではなく、これまでもずっと、一緒に楽しくなろうよ、とプリキュア側は手をさし出し続けてきたわけです。それを大人の内面を持つ敵側は、心をぐらつかせつつも拒み続けてきた。
それが最終的に、慈愛のみではなく、プリキュア達のこれまで歩んできた道として人とのつながりが提示され、大人側のめんどくさい内面が観念する、それもいいものだ、と受け入れる構造てのは、うん、やっぱりいいおはなしじゃない。おもしろいぞハチャプリ!