『週刊少年ガール』2

一昨日の記事で触れた『ツマヌダ格闘街』もなのですが、個人的に最近読んだ長期連載マンガ最新刊にて、ラブ臭が目につく印象なのであります。
ツマヌダ格闘街 (16) (ヤングキングコミックス)
それでも町は廻っている (13) (ヤングキングコミックス)
ちはやふる(26) (BE LOVE KC)
ヴィンランド・サガ(15) (アフタヌーンKC)
あと購入誌の方では、チャンピオンの『実は私は』がついに!ですな。(わー)
実は私は 9 (少年チャンピオン・コミックス)
さてしかし、ストーリーマンガにおける恋愛描写とはなかなかむつかしいものだと私は思う、ぶっちゃけ好みとして。つづられ進行され展開され続ける「おはなし」において、恋愛というキャラクターの内面、関係性のいち状況をどう置くか。作品の骨格に絡まないそれならば、上手くやらないことにはむしろ道行きを阻んでしまう。性的存在なんてもんが物語において邪魔くさく感じられることがあるわけです。それ見せることまでを目的とした舞台でない限りは。
当ブログにおけるその点に関する話ですと、成長と和解を描きえてる児童アニメだおもしれー、と見ていた『ハピネスチャージプリキュア!』が“いざこざ”としての恋愛ターンに入った途端、なんでここまでピンと来ないんだろ、てのがあるわけでして。こと若者においてはそれが大変ビビッドで世界に等しい、てのがキャラクターにおいては正しいと理解できても、それが物語の原動力として寄与するか、というのはまた別の話。やはり私は属性より文脈、空間よりは筋なので。そこの所は作家の采配の技術、話へ乗せる腕っぷしがより問われるデリケートな領域になるわけだ。



というわけで、長い前置きでしたが。その乱れと混沌の部分をこそ抜き出し、マンガという表現媒体にて体感させるのが、こちらの作品なのである。

週刊少年ガール(2) (講談社コミックス)

週刊少年ガール(2) (講談社コミックス)

中村ゆうひ『週刊少年ガール』2巻。構造については1巻の感想でも述べたが、マンガ的メタ表現のおもしろさである。なんで赤塚不二夫に例えるのは思いつかなかったんだろうな、前巻感想。

絵、コマ、設定、文法といったマンガ表現を様々にいじくられることにより、デフォルメされて現れ、読まされる少年少女の恋心群。まずアイディアの冴えで一つ楽しませてくれるショート作品集です。
前巻ではメタギャグとしてききの良さ、ワイワイキャッキャな男女の仲の楽しさ、という印象がわりと強かったのだけれど、2巻ではガッチリと「切なさ」をきめられてしまった。持っていたけど失われた、無くても有る、そのことの表現としてずらされたマンガ文法。世界も法則も揺るがす程の心を読まされるという、その構造にしびれてしまった。恋心の描写が刺さってきた。
楽しく笑えて時に切ない恋物語だったのである、このメタギャグ空間は、間違いなく。おもしろいぞー。