続・羽生生純『無法使いアッポちゃん』2巻、岡本倫(作)横槍メンゴ(画)『君は淫らな僕の女王』

見返して、一昨日の記事があまりにもやっつけ過ぎたので、もう少し考えてみました。



無法使いアッポちゃん 2 (F×COMICS) (F COMICS)

  • 羽生生純の「マンガ・エロティクス・エフ」連載作完結。コミックビームとエロFで同時連載こなしたのは羽生生純志村貴子三宅乱丈だけ!って三人もいるのか。
  • 羽生生純の作品は、ずーっと同じ題材を描き続けています。それは「創作(=演じる・人を操る)」とそれに相対する「現実」です。その濃い相克ぶりとそこで描かれる感情の深淵&はじけぶりがカタルシスを生みます。(漫画サンデーに載ったひじかた憂峰(狩撫麻礼)を原作につけたシリーズも、そう解読されたからこその設定だったのではないかと。)
  • そしてもう一つ、近作においてよりその存在が明確になった“ブレない”要素があります。「家族」です。それは羽生生キャラが生活を送り、人生を歩み、世に生まれ出た上で外せない要素なのです、“現実”として。それは宿命であり遺物であり、たまに希望であり、時に破壊対象であり。
  • この二つの要素は血脈レベルで羽生生作品に息づき続けてて、作者にとって実感としての“リアル”で、作品づくりの指針になりうるものなのだろうと。
  • で、本作品においてそれらがどういう形で現れているか。フツーの現実の中で「魔法少女」という“設定”に生きる生身の人間をいかに「ヒーロー」として描くか、コメディキャラを瞬間的にでも“物語”に生きさせるか、のこの作者なりの力技。「ゆうしゃのむすこよ!」ですな。
  • 『青 オールー』でも『俺は生ガンダム』でも“物語”に生きた結末はキャラクターとしての死でしたけれども。ある種の「お約束」(テレビドラマ時代劇とかその辺よね、構造としては。)として一つはずしたレベルで描けたのは、魔法少女という要素が作者にとって現実的にそういうものだったから、かなあと。
  • なにも否定として言ってるわけでなし。この真摯たる「魔法少女モノ」の再演、息づかせ方を見よ。ひどいよ。(あ!)
  • いや、おもしろいですって。濃いですよー。

君は淫らな僕の女王 (ヤングジャンプコミックス)

  • 純愛エロコメは大正義!
  • というわけで、小さい頃に遊んだ深窓の令嬢である優等生お嬢様に恋した主人公が勉強超頑張って高校で再会したらすげーツンツンされてたんだけど、ファンタジー設定で部屋がつながってお嬢様の自制心が1日1時間なくなってみたら実は主人公に超ラブラブでムッツリスケベっていうかド変態レベルの痴女だったけど主人公にしか欲情しません!という話。
  • いいんですよ、入れ物はベタで。「お約束」を楽しみたいんです。ときめき、ハァハァ、ギャグ、暗雲、ハッピーエンド。それらをちゃんと楽しませてくれる、キュンキュンドキドキを満喫させてくれる、すてきな娯楽作品ですよこれは。相手が自分を好きなことに喜び、家柄という問題に悩み、それでも互いの想いを再確認し、本番は最後までとっておくんですよ。色々ともう醍醐味!
  • いいマンガ、だと思えます。ええ。