せがわまさき『十〜忍法魔界転生〜』1巻、NHK「探検バクモン・男と女 愛の戦略」

一昨日、水曜日に考えたこと。(※書きそびれ)



十 ~忍法魔界転生~(1) (ヤンマガKCスペシャル)

  • せがわまさきの最新作『十(ジュウ)』1巻が発売されました。これもまた、作者が描き続けている山田風太郎原作シリーズの一つです。
  • やっぱりおもしろい。語り部として、この大いなる原作に身をまかせつつ、マンガ家たる技、大見得を怪しさをエロスをユーモアをキメてみせる、その立ち振舞いがカッコいい。読んでて引きこまれ、なんつうかしびれるんだよなあ。
  • その辺意識してみると、自分の中では小林まことの「劇画・長谷川伸シリーズ」に近かったんだな、と今さらながら気づく。今さらかよ。

劇画・長谷川 伸シリーズ 一本刀土俵入 (イブニングKC)

  • もちろん作品としての現れ方は違うっちゃあだいぶ違うんだけれども。でも、なんだろなあ。先人が“物語”にこめたものを受け継ぎ、それをマンガ家として体現したのがこれらの作品なんですよ。まさにソウルの部分を読者に伝える行為で、そのゆるぎないものに身をまかせる快楽というのがあるんです、読み手として。
  • で、この『十』の発売日夜に放送された、NHK探検バクモン」のテーマは「男と女 愛の戦略」でした。ゲストには恋愛を学問として教えている、早稲田大学教授の森川友義氏。そう、竹下けんじろう『レンアイガク』の監修者でもあります。

レンアイガク 1 (芳文社コミックス)

  • で、テレビ放送でその理論が紹介されていたわけですが。あれだ、マンガって、おはなしってやさしいよね。物語を読むことで心に定着したソウルっていうのは、フィクションをそれとわかった上で大切にしているからこそ真なんだよね、と再認識したり。
  • 大事だなあ、再話って。

まあそのようなことを一昨日の夜、テレビ放送されていたド直球エンターテイメント映画「ダイ・ハード」をまたまた楽しんだあとで、つらつら考えたりしたのでした。そんなタイミングの日もある。