「わりとなんていうかな、俺は、プレイするときは盲目的ですよ。信じてるものに対して。それは無意識じゃなくて、意識的に盲目的というか。なんかバカみたいだけど(笑)。」
(『ゲームの話をしよう』より、著者・永田泰大の発言)
『サマーウォーズ』初見時の印象は私の場合、「脚本が偶然と行き当たりばったりだな」「キャラがごちゃごちゃしてるな」「まとまってないなー」「いま一つ」「『時かけ』の方が上」と、いったものだった。正直、評価は低かった。
だもんで、否定的な声が出てくるのはわかる。理解にとどまらず、共感さえできる。そこで言われる内容についても、実体験として“知っている”のだ。
でも私の場合、もう一度見たら大好きになっちゃったんである、『サマーウォーズ』。見てて、グッとジーンとブワッときた。ちゃんと酔えたのだ。
慣れかもしらん。心構えかもわからん。体調の可能性もある(いやマジで)。ともかく内容と展開入れた上で鑑賞したら、きっちりしみたのだ。
で、今の私にとって『サマーウォーズ』は、“いい作品”なのである。批判の声に対しても、「うんうん、そうだよね。わかるけど、でも俺は好きなんだよ。」としか思えない。
そもそも俺は、経験とよき先達による手前の眼と尺度の形成について、こと映画という媒体に関しては、完全に人生上でその機会逸しているという自覚があります。
で、なんかね、一度目見た時、消化しきれてねぇな俺、て感覚が強くあったわけです。*1見て今、世界観と展開に穴あるの理解している私だけど、俺の落とし所はそこかよと。そこ、じゃない、みたくね?と。*2
なんかね、多分、私は好きになりたかったのよ、『サマーウォーズ』を。見終わって。心のどこかで。実際は釈然としないにも関わらず。“よきもの”としたかった。作品の背景としてのぞくモノ、在り方を肯定したかった。今これ書いてて思い出したけど、ほめてる人がうらやましかった。魅了された部分が間違いなくあるのにテメエの中でのその落ち着け方が見えず、前面に意識されんのが世界観・展開の穴という、見りゃわかる事実、データベース的正誤でしかねえことに自分でイラついた。俺が物語の体感でもって培ってきた、差別の作法もダブルスタンダードの技術もグレーゾーン負う覚悟も、ちっとも回路として機能しやがらねえ!
だからもう、二回目に見に行った『サマーウォーズ』は完全に、好きになる為に行った、のだと思う。意識的に。確認しに。
で、それは果たせました。己の中での作品の位置づけと、自身の立ち位置の再認識。私は“好き”を取ります。価値をかいます、在り方を指示します。自分なりの愛し方は見出だした、おはなし原理主義者として。*3その発露についても、すでにこのブログで二度ほどはたしております。
だから、てわけでもないんだろうけど、通り一辺倒な絶賛や批判よりも、先日どっかのブログで見かけた「初見時はおもしろかったんだけど、もう一度見たら疑問が出てきた」といった感想に、ビビッときたりするわけですね。そういうたたずまいにこそ、“共感”覚えるわけ。そこに宿る体重にこそ、価値見れるわけです。
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